ひまわり

文/イラスト:なおこさん



暦の上ではとうに秋となり、8月もそろそろ終わろうかというその日は、朝から往く夏を惜しむかのような熱さだった。

久しぶりの休日をどう過ごすそうか…。
そういえば最近、お日さまにあたるなんてこともなかったな。
加藤を誘って海にでも行きたいところだが、時間はもう昼を過ぎている。
今から行っても…と思う。
それにあいつは仕事で、夕方にならないと地球には戻ってこない。
さてどうしよう?

『××ホテルのガーデン・プールがいいですよ〜』と、後輩が言っていたのを思い出す。
『プールの後は〇〇で食事して、あとはそのままキープした部屋へなだれ込んでください。』
なんて意味深に笑っていたっけか。
もちろん女の子と一緒に行けってことだ。
残念ながら野郎ひとりで味気ないが、今日は水着のおネェちゃんでも眺めながら、のんびり昼寝でもするとしよう。

はき慣れたジーンズにTシャツを着て部屋を出る。
そのままマンションの地下駐車場へと降りて、愛車を駆って夏の街へと滑り出した。
たしかそのホテルまでは30分足らずで着くはずだ。

普通なら。

飛行機野郎のご多分に漏れず、俺は結構、車好きだ。
便利なので当然エアカーは持っているが、それ以外にスポーツタイプの普通車を1台。もちろんマニュアル仕様。
それとは別に、最近もう1台。よく言えばクラッシックのヴィンテージ・カー、悪く言えば廃車寸前のおんぼろ車を買った。

知り合いのディーラーが所有していたその車になぜか惚れ込んでしまい、譲ってくれと頼み込んだ。
売り物ではないからと、なかなか首を立てに振ってくれなかったのだが、あまりにしつこかったのか、『あと1年くらいしか乗れないからな。文句言うなよ…』と念を押しつつも、ただ同然の値段で譲ってくれた。

が!!さすがにクラッシクなだけのことはある。
でかくて燃費が悪くて、エアコンの利きは悪いし、スピードもあまりでない。
周りの車にびゅんびゅん追い抜かれながら、走る。

それでも、いつもなら腹のたつそんなことも、この車に乗っていると気にならないから不思議だ。
時間の流れが本当にゆっくりになる。
何も考えず、ボーっとしたい時には持ってこいの空間が、生み出されるのだ。

生と死の狭間を猛スピードで行き来しているせいか、そんな時間がこの上もなく大切だったりするのだろう。

とはいえこの暑さでさすがに車内が蒸し風呂のようになり、残暑という現実に打ちのめされる。
例によってエアコンは効いているのかいないのか判らない。
無理に温度を下げようとするとそのつけがエンジンに回る。

…オープンにするか。
たとえ熱風でも、蒸し風呂の中にいるよりはマシだ。

こんなことなら最初からオープンにしとけばよかったなぁ〜と思いつつ、適当に車を止められる場所を目で追った。

なにしろクラッシク。
ボタンひとつでウイ〜ンっと青空が頭上に広がるなどということは、ない。
幌ひとつあげるのもマニュアル作業なのだ。

このご時世に車を降りて、汗だくになって幌をあげる。
はたから見たらヘンだよな。

さて車も無事オープンとなったことだし、風を感じてもう一走りしようかと顔をあげた。

…ん?

ふと見ると、さっきは気づかなかった小さな公園のようなものがあるのが目に入った。
ビルの谷間にあるそのスペースは、ちょっとした緑の植え込みといくつかのベンチがおいてあるだけで、公園というよりは、周囲に住む人達の憩いの広場とでもいったところなんだろう。
人工的に造られた街の中にはよくある、なんてことのない風景だ。

なのにどうした訳かその場所にはひっかかるものがあった。
遠目に見てもちょっとした違和感がある。
何所かが普通と違う気がするので、それが何なのか気になった俺は車を路駐したまま、その広場へと向かう。

せっかくオープンにしたのに。
そのままにしたら、シートがものすごく熱くなったりして、大変なのに。

とにかくその時は不思議な好奇心に勝てなかったのだ。

案の定、そこは何の変哲もない、人々の集う憩いの広場だった。
ただこの暑さのせいで、今は人っ子一人いない。

俺はさっき感じた違和感が何なのかを求めて広場の中を見渡した。
するとある一点に視線が留まった。

植え込みの中から、たった一本。
太陽に向かってにょきっと背を伸ばしているひまわりの花。
かなり背が高い。

近寄ってみる。

決して小さくはない俺の背よりも少し高い場所に、ひまわりは重たそうにその頭を垂れていた。

…でかいなお前。
思わず呟いてしまうくらいにでかい。

『ソンナコトイワナイデクダサイヨ。』と恥ずかしそうに俯いているようにも見えるその姿は、なんだか少し寂しげだった。

さっきから感じていたのはこれだ。

どこかの子供がふざけて種でも蒔いたのだろう。
たった一本、所在なげに立っているひまわりは、確かにその広場の中で異質なものだった。

何故か引き付けられる。
その場を立ち去りがたくなる。

…あっちいな。

ラッキーなことに広場の横にコンビニがあった。
本当はビールでも飲みたいところなのだが、今日は車だ。缶ビール一本くらいでどうこうなるものでもないが、やはりまずいだろう。

冷房の効いた店に入り、ミネラルウォーターを買ってひまわりの元に戻る。
あたりに誰もいないのを確かめると植え込みの中に入って、そのままごろんと横になった。

頭上にはひまわりの花。
その向こうには夏の名残の太陽と青い空が広がっている。
雲の感じは、やっぱり少し秋っぽい。

ひまわりか…。

ひまわりって、確か『日を追って回る花』だったよな。でも花が咲いて暫くしたら動かなくなるとか…違ったかな。
古代だったら、きっと色々と知っているんだろが、俺は花のことなどあまり知らない。
取り立てて興味もない。
でも何故か、こいつに捕まってしまった。

ひまわりね…。

大昔の映画にそんなのがあった。
戦争で引き裂かれた男と女の悲恋モノで、ひまわり畑が印象的だった。

ひまわりって…。

黄色くて、夏で、太陽で、天真爛漫な明るい花っていうイメージしかないけど、あの映画のひまわりは、なんだか切なかった。

今、目の前にたった一輪で太陽に向かって立っているひまわりも、かなり切ない。
たった一人で大地に立って、何を思っているのだろう。

花だから…何も考えちゃいないか…。

そんな取りとめもないことを考えているうちに、ついうとうととしてしまったらしい。

太陽はジリジリと照りつける。
どのくらい眠ったのか、あまりの暑さにぼんやりと目をあけると、相変わらず目の前にはひまわりと太陽と空と雲だけが見える。

寝ぼけた体を少しだけおこすと、少し離れた場所では、俺の大切な恋人がさっきと変わらない様子で大人しく俺を待っている。

こんな炎天下に女の子を長時間待たせるなんて、俺は最低だな。日焼けしちゃうだろ…。

日焼け…
ん?日焼け!?

俺はガバッと跳ね起きて、Tシャツの袖を捲り上げる。

あ〜〜〜。ださい。ださすぎる。
腕と首にTシャツのあとが…。なんてことだ…。
まだ傷の浅いうちに…と、とりあえずTシャツを脱ぎ上半身だけ裸になった。

これでホテルのプールサイドは如何なものか?
仕方ない。もう少しだけここにいて、今日は帰ろう。

…お前のせいだぞ。

やり場のない怒りをひまわりに向ける。
傍らに転がっていたペットボトルを拾うと、生暖かくなった水を口に含んだ。

う゛ー。まじい。
今度こそ本当にビールでも買おうかと思っていると、遠くから子供の話声が聞こえてきた。

「あれだよ。」
「すっげぇな。」
「だろ〜?」

さっきのコンビニがある建物はマンションにでもなっているのか、小学生くらいの男の子が二人、ひまわりを指差しながら、こちらに向かって歩いてくるのが見えた。

…犯人はお前か?

声がどんどん近づいてくる。

「スイカの種も蒔いたんだけどさ、それはダメだった。」

…スイカもか。じゃ、桃もやっただろ?間違いない。

楽しそうな笑い声。4つの運動靴が俺の目の前で立ち止まる。

「よっ」
ひまわりの下に座ったまま、子供たちに向かって片手を挙げて挨拶すると、彼らはびっくり顔で俺を見下ろしながら、それでも同じように手を挙げて、
「お、おぉ…」と恐る恐る返事を返す。

思いもよらぬ珍客に、リアクションに困っているのがありありだ。
どうせ『へんなヤツがいる!!』くらいに思っているのだろうが、俺はヘンなヤツじゃないぞ。

とはいえ、俺が彼らにとって邪魔者であることには変わりない。
よいしょと立ち上がる。

ひまわりと同じ目線になった俺を、今度は4つの瞳が不信そうにジロっと見上げる。

…安心しろよ。何もしないから。

じゃぁな。と手を振って立ち去る俺の後ろで、こそこそと話す声。

「なんだよ、あいつ?」
「こんなトコで何してたんだ〜?」
「気持ちわりいよなぁ…」
「でもさ、お前見た?あいつTシャツ焼けしてたぜ〜」
「見た、見た!!だっせぇよな!?」
「な!?」
大爆笑。

…お前ら、全部聞こえてるぞ。
だいたい俺がこんなみっともない姿になったのは、そのひまわりのせいだ。責任とれ。

やり場のない怒りは、今度はイタイケな少年に向けられた。

…俺もかなりガキっぽいな。

思わず苦笑するが、口に出さないだけマシだと思う。
これが加藤なら、「お前らのせいだ」くらいは大人気なく言っちゃうんだろうなと、1人でにやけていると、ジーンズのポケットに入れた携帯が着信を知らせた。
聞こえてくるのは、その加藤のお気楽な声。

「あー、俺、俺。予定よりずいぶん早く帰ってこれてさ。お前今日休みだろ?飯、食いに行かねぇ?」
「そんなことより、海だ。海!」
「へ?」
「明日は朝から海に行くからな。」
「海って…。もう海水浴でもないだろう?」
「いいんだよ。何しろ俺はひまわりだ。」
「…何言ってんの、お前?」
「分かんないのか?情緒のないヤツだな。」
「知るかよ。そんなこと…。」
「とにかく!今の俺には太陽が必要なんだよ!!」
「????」

ここであれこれ話したところで、笑い飛ばされるのがオチだ。それはなんとも面白くない。
面倒くさい説明はすっ飛ばして、今晩会う約束だけをすると、じゃあなと一方的に電話を切った。


振り返ると、少年達の関心は得体の知れない俺のことから、ご自慢のひまわりへと移ったようで、二人そろって花を見上げて、何やら熱心に話している。

少し俯き加減のひまわりは、彼らの話の聞き役に回っているようにも見えた。

その姿は、さっきまでの淋しげな様子ではなく、大切な子供たちを見守る母親のようで、少し誇らしげだった。

…よかったな。


来年この場所に、またひまわりは咲くのだろうか。


…おい、少年。
どうせなら来年はたくさん種をまけよ。


いつか見た映画のひまわり畑のように。


この広場が黄色い太陽で埋め尽くされるのを、見てみたいと思わないか?







ILLUSTRATION          BACK