約束
〜幸福の塩バターラーメン〜
その日の昼――。
古代進は、鼻の頭に汗をかきながら一心にカップラーメンをずりあげていた。
その名も『冬季限定・塩バターらあめん たっぷりコーン入 〜1・5倍〜』。
目の前では森雪が頬杖をつき、憮然とした顔で睨んでいる。
進は箸を止めると、げんなり、と顔を上げた。
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貴重な貴重な、ふたり揃っての休日。待ち望んだデートの日。
なのに――。
雪の方に急用が入り、午前中が敢え無く潰れた。
約束は午後に持ち越しとなった。
「雪と一緒にメシ食えなくなって残念だけど、コイツがあるから俺はよし、っと。」
進は、満面の笑みを湛えてカップラーメンに熱湯を注ぎ、いそいそとにテーブルに運ぶ。
その名は『冬季限定・塩バターらあめん たっぷりコーン入 〜1・5倍〜』
進が友人・太田健二郎から貰ったものである。
「いいか、古代。これは限定品でなぁ。今しか食えねえんだ。しかもすぐに売り切れちまう 『幻のカップ麺』 と呼ばれているシロモノだ。」
「へえ〜ぇ。コレがねえ……。」
「バカヤロ!カップ麺だからって侮るなよ?こいつぁ、こう見えて厳選された食材を使ってんだぜ。こだわりの逸品ってヤツだ。
残念ながら、あと15食分しかないんだが、いつも世話になってるからな。おまえに3コやるよ。
騙されたと思って食ってみろ!うまいぞぉ〜。ホントに死ぬほどうまいぞぉっ!一度食ったら病みつきンなるぞぉ〜。わはははは!!!!」
「ふうん。でも3コだけなのか?俺がしてやったオマエへのお世話の有り難味は、たった3コ分なのか?」
「ばっ、馬鹿野郎!3コもくれてやるんだぞ!3コだぞ!こいつぁ、限定モノなんだぞ!売り切れ店続出で手に入れるの大変だったんだぞ!!なかなか食えないもんなんだぞ!!」
「わ、わかったよ!そんなに怒んなくたっていいだろう!有難ぁ〜く3コだけ、いただくよ!」
かくして、太田絶賛のカップラーメンを手に入れた古代進は、一昨日、試しに1コ食してみた。
そして、その味は――。
まさしく “絶品” であった。
『冬季限定・塩バターらあめん たっぷりコーン入 〜1・5倍〜』の虜に、まんまとなってしまった進であった。
「う〜。3分が長く感じるなァ〜。太田、おまえの世話をした甲斐があったよ。ホントにイイモノ、ありがとうっ。」
時計の秒針を睨みながら、3分がもどかしい進。
ピンポ〜ン。
と……チャイムの音。
来訪者である。
「ふぁい。(ったく誰だよ。これから食うって時に!)」
「ワタシ……。ちょっと早いけど来ちゃった。」
「え……?」
――森雪だった。
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少しでも長く進といたい――と願う彼女は、恐るべき勢いでバリバリと仕事をこなしていった。
大事な時間を潰されて、激しく不機嫌な秘書に、長官は早めに彼女を解放することにした。(いや、せざるを得なかった。)
約束の時間まで、だいぶあったが、雪はもう待ちきれなかった。
予定よりも早く終わった――という連絡を入れるのも忘れ、猛然と身支度を整えると、とにかく進のアパートに急行したのである。
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「むうぅ……。なんなんらよ!連絡もなひに、いきなり来て、ほんな顔ひて見へられひゃ、ふんげえ、食いぢゅりゃいりゃろ!」
進は、抗議した。
「だって……。私が作ったご飯食べる時よりも、美味しそ〜な、幸せそ〜な顔なんだもん……。どうでもいいけど、食べながら喋るの、行儀悪いわよ!」
雪は頬杖をついたまま、拗ねたように唇を尖らせる。
「んぐ……。」
むっ、としつつ、ずりあげた麺をもぐもぐと咀嚼しながら、進は困ったように眉間に皺を寄せた。
ごきゅっ、と麺を呑み込んで、麦茶をひとくち飲むと面倒臭そうに言った
「んなこと、気のせいに決まってんだろ。雪が愛情込めて作ってくれた料理は、いつもそれなりにウマいよ!」
進の言葉に、ぴくり、と跳ね上がる雪の柳眉。
「……。それなり……なのね?」
ぼそり、と抑揚のない声。
ぞくり、とする進。
何かまずいことを言ったろうか?なんだか、やばい空気である。
「あ……!」
ようやく己の失言に思い当たる進。
「う……。え、と。そうじゃなくて……。ああと……。(うぅ〜。それなりなんて、なんで言っちゃったんだろう、俺。)たっ、ただの言い間違えだって!」
慌てて取り繕おうとするが、しかし……既に遅いようだった。
熱々カップラーメンの美味しい汗とは違う、イヤな、冷たい汗が流れる。
進は、ごくり、と唾を呑み込んだ。
(やっちまったよ……。)
「いいわよ。無理して言い訳なんてしなくても。わかったわよ。私のは素直にまずいって言えばいいじゃないの!」
雪の声には抑揚がない……。
「ち、違うんだって!ほんと、言い間違えたんだって!
そうじゃなくて、ええと、キミの作ってくれるメシは、みんなうまいんだ。うまいんだけど、たまには、こういうのもうまいんだよ。(……って、何言ってんだ、俺。)」
なんとかしなければ、と思えば思うほど空回り……。本当にマズイ状況である。
「だから、無理しなくてもいいって言ってんでしょ!いいのよ、ガマンして私のまずい料理なんか食べなくても。ほんと、気づかなくて申し訳なかったわ!」
鼻息も語気も荒く、雪はついに進に噛み付いた。
「うっ。だから、さぁ。(ああ、もうっ!面倒くせえ〜っ!)」
こうなったら開き直るしかない――そう決意する進。
「キミの料理は君の料理でうまい、って言ってんだよ!表現、間違えただけなんだっつったろ!いい加減、そんなことで膨れるのはよせ!」
「だって……。」
効を奏したか、一瞬、雪が引いた。
形勢逆転、冷静になった進は、ここぞとばかりに一気に畳み掛けるように言葉を繋いだ。
「ったく、わかんねえヤツだな!んなことやってたら麺が伸びちまうだろ!
じゃあ、正直に言わせてもらうけどな。雪が最初に作ってくれたヤツは、お世辞にもウマいとはいえなかったよ。
――っつうか、その……。まずくねえけど、ウマくもねえ、ってヤツだ。
けど、雪が俺のために一生懸命に作ってくれたモンだし、それだけでウマい気になれたんだ。
でもな。今はそんなこと、ないよ。回数重ねていくウチに、ちゃんとウマくなってるよ。
まあ、初物はイケてないこともあるけどさ。次に作ってくれた時には、ちゃんとウマくなってる。」
「え……?」
強張っていた雪の表情が一瞬、溶けた。
イケる――進は思った。
「おふくろさんから作り方、教わったりしてんだろうけどさ。雪の味は微妙に、おふくろさんのとは違うんだ。
キミのおふくろさんのは、どっちかっていうと『うす味』の、上品な味付けだろ?
でも、キミのは、おふくろさんのより濃いめで、ちょっと甘みのある味付けなんだよな。
それってさ、むしろその……俺の好みだから。
キミのは俺がガキの頃、食ってたおふくろの味に近いんだよ。だから俺、安心しちゃって、ついつい、がつがつ食っちゃってさ。
その……気の利いたこと、言ったことなくて悪かったって思うよ。なるべく直すようにするけどさ。なんつうか、俺、こんなだからさ。」
「こ、だいくん……。」
好みの味――と言われて、にわかに赤くなる雪。嬉しいけれど、どう応えたらいいのかわからず、口をぱくぱくしている。
「だから、んなこと、言ってんじゃねえよ。俺は単純にカップラーメンが、特に、コイツが大好物なんだっつってんの!キミの料理もウマイけど、これはこれでウマイんだよ。
そういうことだ。
わかったら、泣きべそなんか、かいてんな!
俺は、その……キミがここへ来て、俺のために頑張ってメシ作ってくれるの……すごく嬉しいしさ、なんつうか……え、と……そういうの……幸せだな、って思ってんだ。」
進は言いながら自分が赤くなっていくのがわかる。
(何言っちゃってんだ、俺……。がらじゃねえっつぅのに……。)
「ごめん、なさい。」
進の努力の甲斐あって、雪は素直に頭を下げた。
「お、俺も悪かったよ……。
やっぱりさ……。口に出さないと通じないことってのも、あるよな。」
なんだか、しみじみと、そんな言葉が進の口をついて出る。
「古代……くん?」
きょとん、としている雪。
「な、なんだよ!!」
おかしなことを言ったかと、顔を赤らめる進。
「古代君から、そういう言葉を聞けるとは思ってもみなかった!」
にっこりと微笑む雪。
「なっ、なんだよ!!」
真っ赤になりながら口を尖らす進。
「オトナになったわぁ、と思って。うふ。」
そこはかとなく、勝ち誇ったようにも見える雪。
「ばっ、バカにすんなっ!」
先程の開き直りとは打って変わって、うろたえる進。
「くそ!麺がのびちまっただろ!まったく!なんだってんだ!つまらんことばかり、言いやがって!」
ぶつぶつと文句を言いながら、進は残りの麺をずりあげた。
「あ〜あ〜、もうっ!ふにゃふにゃらよ!」
上目遣いに雪を睨んでみせる進。
「口いっぱいのまま喋らないの!」
なんだかんだと、小うるさい雪に、たまらず言い返す進。
「うるへえっ!」
進の口から麺の切れ端が飛んで、雪の頬を直撃した。
「いやあーーっ!もうっ!飛ばさないでよっ!」
「ぶふっ!」
次の瞬間、ふきんが進の顔面を直撃した。
進は、カップの底のなけなしのスープまで飲み干してラーメンをきれいに平らげると、麦茶をもう一杯飲んで、満足そうに腹をさする。
「あ〜、うまかった。てろんてろんに伸びちゃってたけどな!スープも減っちゃったし!」
そう言って、恨めしそうに雪を睨んでみる。
「ごめん、なさい。」
雪は心底、申し訳なさそうに、ぺこり、と頭を下げる。
「そういや、雪もメシ食ってないんだろ?」
ふと、思い出したように進が訊ねた。
「うん……。」
小さく頷く雪。
「ったく、しょうがねえヤツだなあ。このラーメン、もう1コ、あるんだよ。作ってやるよ。待ってろ。」
やおら立ち上がると、なんだか楽しげにキッチンに入っていく進。
(作ってやるよ……って。具とスープ開けてお湯注ぐだけなのに〜。)
そんなことを思いながらも、なんだか嬉しい雪である。
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ぴぴぴぴぴ……。
3分を知らせるアラーム。
かくして――。
古代進お気に入りのラーメンが出来上がった。
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湯気の立つ、ラーメンをひとくち、すする。
「あ……。美味しい。」
「だろ?」
進は勝ち誇ったように鼻の下をこすった。
「ウン。あの……。」
雪はバツが悪そうにうつむいて、小さな声で言った。
「ごめんなさい。つまらないことで機嫌損ねたりして……。」
すると。
進は顔を突き出し、にやり、として言った
「じゃあ、バツとして、今度の休みは弁当作ってくれよ。」
「え?」
驚いて顔を上げる雪。
「次の休み、さ。ちょうど桜が綺麗な頃じゃないか?弁当もって花見、しようぜ?」
なんだか子供みたいな、楽しそうな表情の進。
「古代君!」
雪の顔が、くわぁっと綻んだ。
うんうん、そうしよう――と大きく頷いて、嬉しそうな雪。
進も満足そうに微笑み返す。
「じゃ、約束な。そうだなあ。弁当には唐揚げは外すなよ。あと、タコのウインナーも。
あ、高級なのじゃダメだぜ?赤いヤツ、な。」
「えー!私、赤いのはイヤだぁっ!」
「ダメ!俺はあれがいいのっ!」
「……わかったわよ。」
「あっ。それから、玉子焼きも。甘いのな。今度こそ焦がすなよ?」
「んもうっ!いつのこと言ってるのよ!ちゃんと作れるわよっ!」
「で、おにぎりの中身は――」
それから、雪のラーメンが伸びてしまうほど、延々と進のリクエストは続き……。
その度に、うんうん、と頷きながら、少年・進の楽しそうな表情をみつめていた。
そして、今日の私はなんて幸せなのかしら――と。
カップラーメンに心から感謝した。
桜の開花は、もうすぐ――である。
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