Devenez heureux
〜 心やさしき恋人達へ 〜
多忙を極めた恋人達の久しぶりのデートも、そろそろ終わりが近づいていた。
まだ何もない、殺風景な公園のベンチで、過ぎてゆく時間を惜しむように、ふたりは肩を寄せ合った。
「あ〜あ。明後日からもう宇宙かあ〜。復興のためとはいえ、なんだかテキトーにちやほやしつつ、こき使われてる気がするんだよなァ〜。」
進は、大袈裟にそうボヤいて、隣りの雪をちら、と伺った。
「そうよねえ。なんだか、片付けても片付けても、ちっともシゴト終わんないものね。
でも、私は地上勤務だから古代クン達に比べたら、ね。
何より私……。またしばらく古代クンに会えないんだって思うと、淋しいし……。」
雪はそう答えて、うつむいてしまった。
ふっ、と憂いを湛えた雪の横顔に、どきりとして耳まで赤くなった純情な進。
こほん、とひとつ、咳払いをし、ぎこちなく彼女の背に手を回すと、ぎゅうっと抱き寄せた。
そしてそのまま、彼女の髪に唇を寄せる。
「俺だって……。離れたくないのはおんなじだ。」
進の言葉に雪が顔を上げ、互いに見つめあう格好となった。
幸い、公園に人気はない。
ゆっくりと目を閉じる雪。
ゴクリ、と唾を呑む進。
そして、ゆっくりと彼女の顔に近づき、その愛らしい唇にそっと触れようとした時。
突如、ベンチの横の植え込みが激しく揺れて、黒い毛むくじゃらの塊が飛び出した。
続いて、別の塊が飛び出す。
「うわああああっ!」
進は飛び上がって悲鳴を上げた。
ふたつの大きな塊は――。
黒い大きな犬と少年だった。
と。
少年は犬を追うのを止め、ベンチの前でピタリと立ち止まると、意味あり気にニヤリ、としてみせた。
そして、あろうことか進を見上げて、こう言った。
「ふふ〜ん。おまえさぁ、今、このヒトにキスしようとしてただろ?」
「え?あ?」
「ふふん。スケベ!」
「う!?あっ……。こっ、こら、クソぉ〜〜っ!コドモが見てんじゃねえーっ!」
進は、焦り、うろたえ、ただ無意味に叫ぶ。
「うっせえんだよ、オッサン!」
なおも不敵に笑んでいる少年。
「なんだと、こらぁ!俺はまだオッサンじゃねえよッ!」
オッサンと言われて、ますますトサカにくる進。
「言っとくけどさぁ。ここはコドモが遊びに来る、ケンゼンな公園なんだけど?」
「う……。それは――」
まったく動じず、情け容赦ない言葉を浴びせる少年。
しかし彼の言うことは正論であり、進は返す言葉に詰まってしまった。
「ば〜か、ば〜か!スケベ!ヘンタイ!」
しどろもどろの情けない進を、少年は勝ち誇ったように笑いながら罵った。
「う、うるせえってんだ、こらぁ!おまえこそ、こんな時間にふらふらしてんじゃねえっ!!」
バカにされて、ますますムキになる進に向かって、べえーっと舌を出し、もう、おまえなんかにキョーミねえよ、と言わんばかりに鼻で嘲笑うと、少年は犬を追って走り去ってしまった。
「く、くそう!バカにしやがって!」
いいところを邪魔され、しかも、思い切りからかわれバカにまでされて、鼻息も荒く歯噛みしながら、進は悔しそうに、去ってゆく少年の背中を見送った。
はっ、と我に返り、隣りの雪に目をやる。
雪は……。
涙を流して笑いを堪えていた。
「ちっ!なんだよ、雪まで!!お、俺だって子供相手に大人気なかったとは思ってるけどさ。なんなんだよ、あのガキ!」
口を尖らす進に、雪はやっぱり笑いながら言った。
「こういう古代クン、初めて見たわ。私的には、あの子に感謝したいわね。」
「え……?はぁ……。俺、カタナシ……だな……。」
雪の言葉に、もはや怒る気力も萎えて、進は憮然とベンチに座ってうなだれた。
「そんなに落ち込まなくたっていいじゃない。少年みたいな古代君っていうのも私的には――」
進を見下ろし、慰めながらも笑っていた雪が、ふと顔を上げた。
「あ、古代君……。」
ベンチのふたりの前に、先刻の無礼な少年が立っている。
間もなく犬も少年を追って来て、きちんと隣りに座った。
それから少年は、先程とはうってかわって真顔になっており、ふたりに向かって、おずおずと話しかけた。
「なあ。あんた、古代進だろ?ヤマトに乗ってた。」
「え?あ?あ……。ああ。」
自分が何者なのかを知っていた少年に、進は戸惑いながらも頷いた。
「で、あんたが森雪だよな?」
「え?ええ……。」
雪も同様である。
「やっぱりな。あんたら有名人じゃん?俺、テレビとか雑誌で見てたからさ。」
「そ、そうか。」
進も雪も困惑した表情のまま、お互いを見やった。
少年は、ふたりの表情を見て取って、苦笑した。
「なんだよ。なに困った顔してんだよ。別にサインしろとかっていうんじゃないから安心しろよ。」
ふたりはバツが悪そうに顔を見合わせた。
むしろ少年の方が困ったように笑う。
そして、ふたりが予想だにしなかったことを口にした。
「俺、あんたらヤマトのクルーに感謝してるんだ。」
「……。」
目を丸くし、言葉もないふたり。
それから少年は、進の瞳を真っ直ぐに見つめて、ぼそりと言った。
「俺の父さんも……戦艦に乗ってたんだ。でも、ガミラスにやられちまってさ、死んだんだ……。」
「……。」
かける言葉が見つからず、ただ少年を見つめ返すだけのふたり。
少年は更に話を続けた。
「俺んちがあったところ、遊星爆弾でやられてさ。母さんも姉ちゃんも小っちゃかった弟も跡形もなく消えてなくなったんだ。
俺はさ。俺は……たまたま叔父さんちに遊びに行っててさ。生き残ったんだ。……俺だけ、なんだ。生き残ったのは。」
負けん気な少年の瞳が深い悲しみに暗く翳った。隠そうとしているのか、やや顔を背けて深くうつむく少年の瞳は、涙で潤んでいる。
それに気づいて、雪は唇を噛んだ。
「そう、か。」
進は深い吐息を落として、辛そうに少年を見つめた。
雪は言葉もなく、目を伏せる。
「友達も……いっぱい死んだんだ。だから――。
ガミラスをやっつけてくれた、あんた達に感謝してるんだ、俺。」
しかし――。
「感謝されても……俺は喜べない。」
進は、低く呟くようにそう言って、瞳を翳らせた。
雪は、うつむいたままだった。
進は少年を真っ直ぐに見つめ、静かに話し出した。
「おまえ、カンチガイしてるよ。俺達は……仇討ちするために戦ったわけじゃない。それだけのためにイスカンダルまで行ったんじゃない。少なくとも俺は……。
いや……。最初は……最初の動機は俺もそうだった。」
思いも寄らない進の言葉に、少年は驚いたように目を見開いた。
「俺の両親も……遊星爆弾で死んだんだ。やっぱり……跡形もなかったよ。俺の家があったところも思い出も、すべて一瞬で消されちまった。おまえとおんなじさ。かけがえのない大切な人達を大勢、失ったんだ。
だから、俺はガミラスを憎んだし、心底、恨んだよ。確かに……俺を衝き動かしていたのはガミラスへの復讐心だった。
俺は憎しみと恨みを込めて戦った。」
少年は、自分とよく似た進の境遇に親近感を覚えたのか、身じろぎもせず、じっと聞き入っている。
そんな彼に、進はやや困惑気味に話を続けた。
「でも、やつらは……。お慰みに地球を攻撃していたわけじゃなかった。やつらにとっては自分の星の存亡を賭けての戦いだったんだ。」
えっ?――という表情の後、少年の唇は、だけど……とわずかに尖った。
そんな少年の反応に、進は小さく頷いてみせる。
「そうだよな。だからといって、俺達地球人類は黙って星ごと命をくれてやるほど、お人好しじゃない。そのために俺達が滅亡しなければならない理由はない。俺達だって同じように生きる権利があるし、同じように幸せを求めている。
だから、それをただ力ずくで脅かそうとする彼らとは、俺達だって俺達の星の存亡を賭けて戦うしかなかった。
結果、俺達はガミラス星を……死滅させたんだ。」
進の表情は深い悲しみと後悔に満ちていた。
「だから俺達は英雄でもなんでもないんだよ。少なくとも俺は……そんなんじゃないよ。俺は……多くの命を奪って……守れなかった命もあって……。
あの廃墟のガミラス星を目の当たりにした日から俺は……。俺達の地球を救うためなんだって思わなければ、そう思わなければ前に進めなかった。
そうして、確かに俺達はコスモクリーナーを持ち帰った。
だけど俺は……地球を救うんだっていう大義名分を被った人殺しでもあるのさ。」
進は両手を強く握り締め、声を震わせた。
雪は進の言葉を受けて、静かに、ゆっくりと顔を上げ、進同様、真っ直ぐに少年を見つめた。
「奪われてしまったなんの罪もない地球の人達の命、戦いに散った仲間達の思い、叶わなかったガミラス星の人達の願いを無にしないためにも、私は地球には平和な星になってほしいって願ってる。私自身、そのために出来得ることをしていきたい。
それを……偽善……と言われるかもしれないし、そうすることが償いになるのかどうかはわからないけれど……でも、私は――」
そう言って声をつまらせる雪の肩をそっと叩き、進は小さく頷くと微笑んで見せた。
そして、俺も彼女と同じ思いなんだ――と言って少年に向き直る。
少年は涙を隠すように、くいっと顔を上げると、二人をキッと睨んだ。
そして――。
「わかんねえよ!そんなこと言われたって俺、わかんねえ!!わかんねえよ!!」
少年は叫んだ。泣きながら叫んだ。
「平和になったって、父さんも母さんも、姉ちゃんも弟も帰らないじゃないか!弟は、弟はまだ2歳にもなってなかったんだぞ!
ガミラスがなんだって!?やつらのことなんて知るかよ!
あいつら、大勢、大勢のヒトを殺したんだぞ!あいつらは俺達が死ねばいいと思ってたんだぞ!
どんな理由があったって、俺はあいつらを絶対、許さないっ!
おまえらの言うことなんか、わかってたまるかよ!わかってたまるかってんだ!くそおーーーーっ!!」
少年は、くるっと踵を返すと、全速力で駆け出した。
遊んでもらえるのかと無邪気に後を追う、犬。
進と雪は、唇を噛み締めて少年の背中を見送った。
そして、どちらともなく手を繋ぎ、互いにその手を、ぎゅうっと強く握りしめた。
「辛い、な……。」
進は、呻くように言った。
「……。」
頷く雪の目から、ぽろり、と涙が零れ落ちる。
「……もっと他に言い方があったのかな。でも……。あいつなら、わかってくれそうな気がするんだ。」
深い吐息と共に進は呟く。
ただ黙って頷くだけの雪。
「なあ。俺達のやったことって……敵討だったのかな。」
淋しく問うてみる進。
「大事な人を奪われた人達にとっては……或いは……そうなのかも知れないわね。」
うつむいたまま小さな声で答える雪。
「ただ私は……あの日の痛みと恐ろしさを忘れない。」
「俺も……忘れないよ。忘れちゃいけないんだ。
俺は……あの旅での経験があるからこそ、平和と幸せを心の底から願える気がするんだ。」
「そうね。あの子……。あの男の子、幸せになって欲しいな。」
「ああ。あいつなら大丈夫さ。きっと。」
「なあ、雪。」
「なに?」
「俺達、幸せになっても……いいんだよな?」
雪は進の問いに答えることができず、瞳を揺らして見つめ返した。
進は、そんな彼女の手を今一度、そっと握った。
「俺、幸せの定義って、未だにわかんないんだ。
誰かの悲しみや苦しみや……痛みの上にそれがあるように思える時もある。自分の幸せは、もしかしたら誰かの不幸を食べながら太ってるんじゃないかって思う時もある。でも――。
でも俺は幸せになりたいと思う。
俺は……君と一緒にいられることが何より幸せなんだ。
君がいてくれることが、俺にとっての幸せなんだ。
だから……幸せになりたい。
でなきゃ……。そうならなきゃ、消えていった命達にすまない気がするんだ。
幸せになろう、俺達。そして生きていくんだ。生きて地球の平和を築いていくんだ。
俺にはそれしか、今の俺にはそれしか答えが出せない。」
進は暮れていく空を見上げ、誰かに、何かに誓うようにそう言って、繋いだ雪の手を、ぎゅっと握りしめた。
進の思いに応える様に、雪もその手を握り返す。
「生きていこう、古代君。そして……幸せになろう。
私も古代君の……あなたの傍にいられることが幸せなの。
あなたがいてくれることが、私にとって何より幸せなの。
だから私も……幸せになりたい。
幸せになろう、私達。そうして、私もあなたと生きていく。」
きっといつか、あの少年も心から愛しいと思う誰かに出会うだろう。
そうしたら、彼の目に映る世界は、彼の心に映る世界は今とは違うものになっているかも知れない。
進は雪を抱き寄せた。
そして抱きしめた。力いっぱい抱きしめた。
ふたりは――。
互いの温もりの中で互いを、強く深く思い合う。
誰よりも何よりも愛しい、と。守りたい、と。
そして――。
愛する人の生きるこの世界を、愛する人に繋がるすべてを、愛し守っていきたい――と心の底から思うのだ。
■ FIN ■