「風になった日」


サランさん作


1)

「ねえ、明!この服似合うかしら?」

面倒くさそうに、明は振り返った。若草色のロングドレスに、白いレースのストール。広く開いた胸元には、小さなダイヤが光っている。ドレスのせいか、いつにもまして美しい姿にしばし呆然としてしまったが、やっとのことでわざとぶっきらぼうに答えた。

「ま、いいんじゃないの」

「もう、おしゃれのしがいがないんだから!お父さんはどう思う?」

「母さん・・・ほんとにそれで行くのか?ナンパされないか心配だよ」

「やだ、お父さんったら!私には明っていうこんなに大きな子がいるんだから、そんなことないわよ!それよりこのドレス、5年ぶりに着るんだけど、古くさくないかしら?」

「とてもそうは見えないよ。胸のコサージュもきれいだし、何より君が・・・」

肩を引き寄せ、そのほほに顔を近づけ・・・
2人はすぐそこに明がいることをやっと思い出し、体をぱっと離した。

「ま、その、なんだ・・・その友達によろく伝えてくれ!」

「え、えぇ!それじゃ。明もお父さんと仲良くね!」
ちょっと裏返った声で慌て気味に、明の母は友人の結婚式場へと向った。

「父さんも母さんも、僕がいることなんか気にしなくてもいいのに」

「ば、ばか!なに言ってるんだ!父さんは何も・・・。ほら、俺たちもでかけるぞ!」


小学3年生になった明にとって、母がきれいなのは実はとっても自慢だったりする。もちろん、父もなかなかの男前だ。休日はよく3人で出かけるのだが、今日は珍しく母と別行動だ。父子は車に乗り込んだ。

「ねえ、どこに行くの?」

「すっごくいいところさ!でも母さんには内緒だぞ!約束できるか?」

「うん!男と男の約束だね!」

「ああ!」

見上げる空はどこまでも青く澄みわたっている。車は市街地を離れ、新緑の茂る山へと走った。



2)

道端には雑草が生い茂り、その向こうの田んぼには、植えられたばかりの稲の苗が行儀よく並び、初夏のそよ風に気持ちよさそうにちょっぴりなびいている。
「ねえ、さっき母さんに言ってたナンパってなに?」

「ゴ、ゴホッ!な、なんぱ〜?」

「ちょ、ちょっと前見てよ、前!」

「おっととととと!お前が変なこと聞くから・・・。で、それはな、お前はまだ知らなくていいから」

「ふ〜ん。なんかずるい言い方だな」

あからさまな子ども扱いに少しむっとしてしまう。だが明にはナンパなんて言葉の意味はずっと知る必要はないのだが・・・。



車はさらに走り、山がどんどん大きくなってくる。

「おっ!やってるな!」

父の視線の先を見ると、赤や黄色のハンググライダーが飛んでいるのが小さく見える。

「俺たちももうじきあそこに行くぞ!」

「えっ!飛ぶってこと?」

「ああ、そうだ!怖いか?」

「そんなことないよ!」

明の目は上空のハンググライダ―にくぎ付けとなった。悠然と気持ちよさそうに飛んでいる。まるで鳥のようだ。ジャンボ飛行機には乗ったことはあるが、ハンググライダ―で飛ぶというのがどんな感じかまったく想像できない。でも父が珍しくはしゃいでいるのを見ると、きっとすごく楽しいのだろう。

静かに父が話し出した。

「父さんと母さんはな、空で出会ったんだ」

「空で?」

「そう、あの空だ!母さんのほうが先に飛んでてなあ、俺も負けじとがんばったんだ。今じゃ俺もインストラクター並なんだぞ!」

「ふ〜ん。でもなんで今日飛ぶの、母さんに内緒なの?」

「母さんは、まだ危ないって言うんだよ。お前より小さな子も飛んでいるんだけどな。ま、それだけお前が大事なんだろうが、別に足くらい折ったっていいよなあ」

「う、うん・・・」

明の心の中で、飛べる喜びと、怖さが戦い始めた。

「明、冗談だよ!冗談!俺がお前にけがさせるわけないだろ?!」

明の顔は引きつったままだった。



3)

森の中を走り抜けると、ぱっと開けたところに出た。○△スカイクラブという看板がかけてある丸太小屋の横に車は止まった。その前には芝生のなだらかな坂が広がっている。そして真ん中に、飛行場のように白いラインが引かれている。山と反対側には、民家や田んぼ、畑が見えた。

「ほら、山の上のほうに黄色いVの字があるだろ。あそこから飛び立つんだ」

「あそこから・・・」

2人の真上をゆっくり旋回しつつ、高度を下げるハンググライダーがあった。

「おっ!もうじきあれが着陸するぞ!」

明はぐるぐる回りながら、そのハンググライダーの姿を追いかけた。木々の上をかすめ、いよいよ芝生の上に入ってきた。地面に近づく。すると2本、いや、4本の足が地面を力強く踏みしめて走り、やがて止まった。大人と子供が乗っていた。

「だいぶ上達したなあ。いやあ、ゆかい!ゆかい!・・・おっ!山本くんじゃないか〜!」

着陸場のわきに山本父子を見つけ、叫んだ。

「源さ〜ん!こんちわ〜!明、あの人がここの先生なんだ。俺もまだかなわなくてな!」

「へ〜、あのおじいさんが・・・」

源さんがハンググライダーをかついでやってきた。

「よくきたね!君が明くんだね?」

「ハイ!よろしくお願いします!」

「おう!こちらこそな!それからこの子はわしの孫でな」

源さんの後ろからひょこっと女の子が顔を出した。今、源さんと飛んでいた子だ。

「今日が初飛行だなんて、ラッキーだネ!いい風が吹いてるよ!明くんよろしくネ!私のことは、みんな、らっちゃんって呼んでるから、明くんもそう呼んでネ!」

「う、うん。よろしく、らっちゃん!」

明と同い年だが、らっちゃんの人懐っこい笑顔に圧倒されてしまった。このクラブに子どもが来ることはまれなので、らっちゃんは明が来たことがとてもうれしかった。しかしこのときはまだ、それ以上の感情を抱くことになろうとは、考えもしなかったが。

(よ〜し!僕だって!)

「父さんっ!はやく飛ぼうよ!」

「よし!じゃ、さっそく行くか!」

「うん!」

また車に乗り込み、山道を走った。

熊もいるという森の中を走り、ようやく平らなところへ出て、車から降りた。

「早速組み立てるぞ!」

明の父は車の上から細長く丸められたハンググライダ−を降ろし、明とともに組み立てた。思ったより小さく感じる。これで本当に飛べるんだろうか?

「さ、これつけて!」

ヘルメット、ゴーグル、膝あて等など。そして最後にハンググライダーにぶら下がるための装具である、ハーネスをつける。

離陸時、飛行時、着陸時の体制を確認。そしていよ離陸場へ。

穏やかな風が、緑の香りとともにさわやかに吹いている。着陸地点はず〜っと下のほうにとても小さく見える。明の父は小型無線機で、着陸地点の源さんに通信を入れた。

「こちらテイクオフ、テイクオフ!これより山本機出ます。どうぞ!」

『こちらランディング、ランディング!ここは山からの微風です。地上からも視界は良好!明くんの初飛行だからって、あまり無茶するなよ!・・・お、おいっ!』

「?」

『明く〜ん、あたし!下から見てるから、がんばってネ〜!』

源さんの無線を奪い、らっちゃんの元気な声が聞こえてきた。

「ほれっ!明!」父は明に無線を渡した。

「うん、ありがと」

少し恥ずかしそうに応えた。そしてまた父が無線を受け取り

「らっちゃん!ま、見ててくれよ!じゃ、明!行くぞ!」

「うん!」

飛ぶぞ!でも怖い・・・なんて考えるまもなく、たった2メートルほどの滑走路を4本の足が駆け抜けた。明の足が空回りする。

「ひゃっ!・・・えっ!え―――っ!すっげえ―――っ!」

怖さは一瞬のうちに吹っ飛び、目の前の大パノラマに目を丸くした。真上から見る山の景色が、ゆったりと流れていく。緑だらけだが、どの木も自分を歓迎しているように見える。

「飛んでるんだね!本当にあの羽だけで飛んでるんだね!」

興奮で顔が赤みを帯びている。ゴ―――ッ!という風の音の中で、父子が会話をする。

「ああ、そうだ!風にのってるんだぞ!どうだ、ナウシカになった気分は?」

「ナウシカかあ!これが、風と一体ってやつなんだね!・・・うっわ―――――!すごいよ、すごいよ!最高だよ!」

風がはじめて明を受け入れた。地面にいても風は感じる。しかし今、身も心も風に溶け込んでいる。

(空がこんなにも広く、こんなにも自由だなんて・・・)



4)

同じ頃、山本父子空を飛んでいるその下の湖のほとりに、ある家族がハイキングにきていた。

「う〜ん!空気がうまいねえ!むつみも気持ちよさそうに寝てるし・・・。あら、まあ。父ちゃんまで寝てるよ!」

子守りをされていたはずの五郎が、ハイハイで父ちゃんの周りを、そして時々乗り越えてバッタを追いかけている。ぴょーん、ぴょーんと飛ぶさまが面白いらしく、夢中になって追っている。そして・・・

「母ちゃん!湖のとこに行ってもいい?」

「いいけど、まだ夏じゃないんだからね、泳ぐんじゃないよ!」

「わかってるよ!ほら、行くぞ、四郎!」

「あ〜、兄ちゃん待ってよ〜!」

三郎は湖の岸辺に行き、石を拾っては首を傾げ、また他の石を拾った。

「何してんの?」

「ま、見てろよ!」

三郎は適当な石を拾うと、アンダースローで湖に投げた。一度水面をバウンドし、そして沈んだ。

「ちっ!一回か!」

「僕も、僕も!」と、四郎は足元の石を拾い、投げようとした。

「そんな丸いんじゃだめだよ!平たい石じゃなきゃ!けど、それでもまだ四郎にはできないけどな!」

「できるもんっ!」

「できないっ!」

「できるっ!」

目に涙をためながら、四郎は言い張る。そんな兄弟げんかのせいで、近くで居眠りしながら釣り糸を垂れていた白髪混じりの男の目がさめた。

「こら〜!釣りしているそばで騒ぐ奴があるか〜!」

「や、やべぇ!四郎、逃げるぞ!」

「うん!」

三郎は四郎の手を引き、走って逃げた。

「はーっ、はーっ!ここまで、くれば、大丈夫だろ!」

「あーびっくりした!あっ、兄ちゃん、あれ何?」

「ん?あれはハンググライダ―って言うんだ!かっこいいなあ!俺も乗りたいなあ!」

「うん、僕も!お〜い、お〜い!」

近くまで飛んで来た一機に、2人乗っているのが見える。三郎も四郎も、それに向かって大きくてを振った。



5)

風と化した、ハンググライダ―。

まったく物怖じしない明に、父もうれしそうだ。

「ちょっと、操縦してみるか?」

「わあ―――っ!ほんと〜?」

「ああ!じゃ、両手でポールをつかんで!  まず、体を右手にひきつけて、すっと戻す。  そうだ!うまい、うまい!これが右旋回だ!左は・・・」

「これでいいの?」

右の反対をやればいいといっても、右も一度やっただけだというのに、力の入れ方、タイミングはばっちりだ。あまりのうまさに父は驚きの声をあげた。

「えっ!うそだろ?」

「違かった?」

「い、いや。お前うますぎるぞ!」

「そうなの?うれしいなあ!空を飛ぶのってほんと気持ちいいね!もっと、もっと、う〜んと高く飛んだら、もっと気持ちいいんだろうなあ」

「おいおい!あんまり高いと宇宙に出ちまうぞ!」

「宇宙かあ。それも、いいなあ」

「おっ!明!下見てみろよ!」

2人の少年が手を振っている。明も手を振り返した。

「あの2人も、いつか飛べるといいね!」

「そうだな」

優しい風と、緑と、そして2人の少年と、1人の少女に見守られて、父子の飛行は続いた。





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