恋 敵
その男は――。
多量の失血のために瀕死の状態で運ばれてきた。
大きな金属片が男の背中を直撃したようで、傷は内臓深くまで達しており、既に手の施しようがない。
人手が足りず、仮設病院に赴いていた神倉涼は、懸命に処置をしたが、その甲斐なく男は死亡した。
――男は。
かつて彼女の恋人だった。
涼は苦しげに、男の妻に謝罪した。
「ごめん……なさい。助け……られなかった……。私――」
「そんな!ウソでしょ?ウソよ!!そんなはずない!!そんなこと、あるはずない!」
妻は、涼の言葉を認めたくないのか、かぶりを大きく振りながら叫んだ。
「奈津さん。あの……。」
蒼褪めて立ち尽くす女医の顔を、改めて見た男の妻――奈津は、驚愕する。
そして、その顔が、みるみる憎しみに歪んでいった。
「ああ……あんた……神倉涼、だったのね?
そうか。そういうことか。貴志が死んだ――だなんて、そんなこと言って私を苦しめたかったんだ?」
「そんなこと、あるわけ……。貴志……さんはもう――。手は尽くしたんですが……。あの……彼、出血があまりに多すぎて……。亡くなったんです。それに私、貴志……さんとは――」
呻くような声で涼は答える。
「そう……。やっぱり、駄目……だったのね。彼、死んだのね。」
抑揚のない、掠れた声で呟く奈津。
「奈津……さん。」
涼は、労わるように奈津を見つめる。
「ざまあみろと思ってるでしょう?」
しかし奈津は、いきなり激しい憎悪を涼に向けた。
「え?」
涼は思わず怯んだ。
奈津は、よろよろと立ち上がると、涼の両腕を掴んで激しく揺さ振った。
「ざまあみろと思ってるでしょう?私はあなたから貴志を奪った女だもの!彼に死なれてざまあみろって、思ってるんでしょう?ねえ?ねえッ?」
そんな奈津に涼は、悲痛な面持ちで答える。
「ざまあみろだなんて、そんなこと……。思うわけないでしょう?
いくらもう別れた相手だっていったって、こんなこと……ものすごくショックだし……。
それに私は医者として彼を――」
しかし、奈津は涼の身体を揺さ振りながら、激しい感情を叩きつけてくる。
「何よ!どうしてそんなに落ち着いていられるのよ?
私が憎いんでしょ?貴志を恨んでるんでしょ?どうして、どうして、そう涼しい顔をしていられるのよ?
医者だから?天才だから?」
一方的に言われて、涼の気も昂ぶって来る。
「な、なにワケわかんないこと言っちゃってんのよ!もう過ぎたことでしょう?私は別に、あなたのことも彼のことも、とっくに――」
「嘘よ!嘘!まだほんの小娘のくせに、そうやって大人ぶって、わかった風な顔で!!この偽善者!!」
「偽善者、ってワタシは別にイイヒトじゃありませんけど?」
しかし、なんとか堪えている涼。
「何よ!あなたはいつもそう!いつもどんな時も余裕な顔してる!貴志に死なれて自業自得だって思ってるんでしょうっ?」
「は?バカなんじゃないの、あんた!私はこういう顔なの!それにね、別れたとはいえ、貴志は私にとっても大事なヒトだったんだよ!私だって、私だって悲しいに決まってんでしょうが!悲しくないわけないでしょうが!!
だって。だって、私は医者なのに助けられなかったんだよ?かつて心底惚れた男を助けられなかったんだよ!?冗談じゃないよ!!」
さしも辛抱強い涼だったが、ついにキレた。
「嘘よ!!あなた、私を貴志を恨んでたはずよ!!」
「くどい!何わけわかんないこと言ってんの、あんた!!
何が脆い女だよ!あんたの何が、どこが私とは違うってのよ!?どうにかなりそうなのは私の方だよ!バカでざまあないのは貴志の方だよ!!何言ってんの、あんた!!私は、私は――」
「よせ!涼っ!しっかりしろっ!」
抑えていた感情が、箍が外れたように溢れ出し、奈津に今しも掴みかかろうとした涼を、川原医師が羽交い絞めにして止めた。
「離して!離してよ!!」
激しく抵抗する涼を自分の胸に抱き込むようにして抑え、川原は奈津に向かって、おだやかに言った。
「ご主人を失くされて、お辛いのはわかります。ですが、神倉を責めるのは筋違いですよ、奥さん。
あなた達の過去に何があったかは知りません。が、少なくとも神倉は医者としてやるべきことはやった。ここに運ばれて来た時にはもう既に、ご主人は手遅れの状態だったんですよ。」
「あああああああ。どうして!どうしてなの、貴志!!貴志ぃーーーーっ!!」
行き場のなくなった奈津は、がくり、と膝を突き、激しく号泣しながら床に突っ伏した。
その肩を川原は、やさしく叩いて言った。
「さあ、奥さん。向こうで少し休みましょう。あなたもあちこち怪我だらけで治療が必要なんですよ。」
川原は別の若い医師と看護師を呼ぶと、指示を与え、彼女を奥の病室に運ばせた。
涼は、奈津の出て行ったドアを見つめたまま、小刻みに肩を震わせながら呟く。
「泣きたいのは……泣きたいのは、私の方だよ。」
「涼……。」
唇を噛みしめて立っている涼の背中を、労わるように見つめる川原。
「まったく!あのヒト、言いたい放題なんだから!頭に来ちゃうよ!これじゃなんだか私がアイジンみたいですよね……。
ごめんなさい、川原先生。大丈夫です。私――」
涼はくるりと振り返ると、小さく笑い、気丈にも仕事に戻ろうとした。
そんな彼女に川原は、ぽんぽんと背中を叩いて宥めるように言った。
「休め。休むんだ、涼。おまえ、疲れただろう。ずっと働きづめだったからな。あとは任せろ。第一、今のままじゃ患者をまともに診られないからな。」
「そう……ですね。わかりました。」
涼は少しうつむき、素直に頷く。
「少し眠るといい。顔色が悪いぞ。」
おだやかな川原の声。
「……はい。すみませんでした。」
涼は、小さく深呼吸し、ぺこりと頭を下げる。
「ま、いろいろあるさ。なあ。」
笑いかける川原。
「先生。」
少し落ち着いた様子で、涼は川原を呼んだ。
「うん?」
「父も……死んだそうです。負傷者を救助に行って、直撃喰らったそうです。」
涼は壁にもたれると、掠れた声で、そう言った。
「そう、だったか。デイヴィッド君が。」
川原は一瞬、驚きの表情を浮かべ、残念そうにうつむいた。
「はい。でも父の家族は皆、無事でした。」
「そうか。」
川原はデイヴィッドを悼むように軽く目を伏せる。
涼は、ぼんやりとどこかを見つめて、ぽつぽつと話し出した。
「父が死んだってことは……やっぱりショックでした。自分でもビックリするくらい。
正直、父のことは……。母の気持ちを思って恨んだりしたこともありましたし……。
でも、彼は彼なりに苦しかったと思うんです。
父は、そもそも人の好い明るい性格の男だったらしいですけど、ナタリーと結婚してから笑わなくなったって聞きました。婿養子でしたからね、父は。
個人病院の院長だった義父との確執とか経営のこととか女房子供のこととか。
それに加えて愛人とその子供の問題も浮上して、きっと、がんじがらめだったんでしょうね。」
「しかし、だからといって君達母子を――」
「まあ、私達の立場から言えばヒドい男ですけどね。
当時、父はナタリーとうまくいっていなかったようですね。
その……。
父は外科医としては、あまり有能じゃなかったようですから、義父からいろいろ言われてたみたいで。父には辛く当たるようなこともあったらしいんです。
妻であるナタリーでさえ彼を庇ったり労ったりすることはなくて、むしろ一緒になって詰ることも多かったみたい。
だから病的なまでに尽くす母に惹かれたのかも知れません。
でも我に返って、母の、父への執着ぶりが異常なのがわかって……引いちゃったみたいですけどね。」
「涼。おまえは本当に……大人だな。」
川原は労わるように涼を見やった。
「さあ、それはどうだか……。大人と子供の境界とか定義は、私にはわからないことですけど……。少なくとも、あの頃の私は、そうならなければ生きていけませんでしたから。」
あくまで、淡々と語る涼。
「涼……。」
悲しげな表情の川原。
「スイマセン。暗ったい話になりましたね。さすがに今日は疲れました。
どうして地球はこうまで標的にされるんでしょうかね。こう度重なると、心的外傷を持たない人間の方が少ない――って、心療内科の池内さんがボヤいてましたよ。私も未だに遊星爆弾にやられた時の夢見て魘されますからね。」
「そうだな。おまえだって……完治したと大手を振って言えるわけじゃないからな。」
「あの時の影響を、まるで受けていない、なんて人間は、地球上、どこ探してもいないですよ、先生。
私なら、お蔭様で再発することもなく通常生活、問題なくできてるし、ちゃんと成長もしてますから。
大体、私の身長170超えてんですよ?これ以上、デカくならんでもいいと思ってるくらい。
いろいろ、ありましたけど……でも、大丈夫です、私。こう見えて、生きることには貪欲ですから。」
涼は、哀れむように自分を見つめる川原に、やわらかく微笑み返した。
「今回のことで、父や……かつて好きだった男には死なれましたけど、でもいいこともあったんですよ。
マイケル……兄なんですが、私を妹として大事に思ってる、って言ってくれたんです。」
「そうか。お兄さんに会えたのか。」
「ええ。医学生なんだそうです。頑張るって。」
嬉しそうな涼。
「そうか。よかったな。」
川原も目を細める。
「はい。だからその、私は大丈夫ですから。私にはその、兄だけじゃなくて、先生もいますしね……。」
涼は照れ臭そうに言って、ドアに手をかけた。
川原は、そんな涼に対して、少し苦しげな表情で言った。
「オレには、もともと子供はなかったし、おまえはどうやら、親の愛情を知らないらしい。
それをいいことに、オレはオヤジ風なんぞ吹かせて、おまえで淋しさを紛らわせようとしてた。どこかで利用していた。」
「川原先生……。」
思わぬ言葉に戸惑う涼。
「オレは、おまえを実の娘のように思ってきたんだ。あの時からずっとな。女房も同じ気持ちだ。
別にオヤジだと思ってくれなくてもいい。おまえさえよければこれからも、オレや女房のことを頼ってくれないか?」
川原は、真っ直ぐに涼を見つめる。
涼は少し赤くなって、照れ隠しにおどけて言った。
「なに言っちゃってるかなァ。ずっと、そう思ってますよ、川原先生。先生と奥さんは、私にとっては、もうずっと前からオヤジとお袋ですから。
じゃなきゃ私、こんなに『いい娘』には育ってません。でしょ?」
「涼……。」
川原は苦笑した。
「じゃ私、行きますね。少し休ませていただきます。」
「ああ、ゆっくりな。」
あの娘は、たぶん無理をしている。
たったひとりで、自分の気持ちに折り合いをつけようとしている。
恐らく無意識に。
幼い頃からひとりで生きてきた、いや、ひとりで生きざるを得なかった彼女には、それは癖の様なものだった。
12の頃から彼女を見てきた川原は、そんな彼女の悲しみや苦しみを、少しでも引き受けてやりたい。ほんのわずかでもいい、力になってやりたい――と、そう思っていた。
しかし。
――今度のこともきっと、たったひとりで苦しんで、答えを出してしまうのだろうな。
そんなことを思いながら。
涼が出ていったドアをぼんやり見つめ、川原は小さな吐息をひとつ、落とした。
■END■