Lovers 〜 Bond of eternity 〜
ほんの一瞬の喜び。
もう一度、幸せを呼び戻せるかも知れない――そう思った矢先。
悪魔はそれを嘲笑するかのごとく、本性を現した。
奈落の底へ突き落とされたようだった。
白色彗星に勝利したと誰もがそう思った。
進は歓喜のあまり、思わず雪に駆け寄ってその身体を抱きしめていた。
それが――。
ガス体を払ったに過ぎなかったとは。
敵は忌々しいまでに。
ほぼ無傷でそこにいた。
ふと腕の中の雪を見やる。
紙のように白く儚げな横顔が、愕然とスクリーンを見つめている。
視線に気づいて、雪は僅かに微笑み、進を促すかのように小さく頷いてみせる。
(やっとの思いでここまで来て、振り出しってことか…。くそうっ!!)
ふつふつと湧き起こる、怒りと悲しみ。
進は前方の敵を見据えると、ぎりぎりと奥歯を噛みしめた。
そして今一度、雪の痩せた肩をぎゅっと抱きしめると、振り切るように自席に駆け戻ってゆく。
雪は――。
その背中を悲しく見送った。
しかし、彼女もまた彼同様、己の思いを押し込めるように敵を見据える。
その刹那。
閃光が走り、艦体が激しく揺れた。
悪魔はクルー達に落胆する余裕さえ与えず、爪も牙も剥き出しにして嬲る様に攻撃してくる。
「クソったれ!!」
「こんちくしょうっ!!」
歯噛みする南部と相原、そして太田。
(あ……。)
雪の意識が、ふっと遠退きかけた。
ぐらりと一瞬、身体が傾く。
はっ、となって慌てて引き起こす。
(こんな時に……。)
痛い。苦しい。本当はとても。
もう薬も殆ど効いてはいない。
体内での出血が。
恐らく、もう止まらないのだろう。
こみ上げて、咳き込む度に。
錆び臭い、不快な血の匂いが鼻をついた。
雪は、爪が食い込むほどに強く拳を握りしめ、引かない苦痛を堪える。
駄目……なのか。
もう死ぬということか。
古代君やみんなが、必死に戦っているのに。
ヤマトの戦いは、これからだというのに。
正直、自分の身体はここまでよくもってくれたと思う。
奇跡――といってもいいだろう。
でも。
まだだ。まだ終われない。
私はまだ……。
雪は。
足早に近づく死に抗うように奥歯をギリギリと噛み締めると、計器にしがみつくようにして身体を支え、次第に霞んでゆく瞳で進の背中を探した。
愛する進を思うことで、必死に意識を繋ぎとめていた。
敵の猛攻は続く。
小動物をあしらうかのように容赦なく。
嬲られ傷つき、ひたすら耐えるヤマト。
そんな中。
至近弾が炸裂し、第一艦橋を猛烈な衝撃が襲った。
「うわあぁっ!!」
太田がたまらず自席から転げ落ちた。
そして後部からは雪の小さな悲鳴。
眼前の計器がショートして弾け、同時にシートから投げ出されたのだ。
進は反射的に振り返っていた。
振り返り様、よろめきつつも思わず索敵席に手を伸ばしていた。
しかし、間に合うはずもなく。
視界の雪は、そのまま床に激しく叩きつけられた。
衰弱した身体は、もはや自身を支えきれなかったのだ。
雪は――。
全身を強打し、もう動くこともできなかった。
喉元を生温い何かが過ぎる。
錆び臭い血の味が鼻腔をついて、弱々しく咳き込む。
もう限界だった。
呼吸だけでやっとだった。
強靭な精神力に従うように懸命に耐えてきた肉体に、ついに限界がきたのだ。
でも。
雪には、もう苦痛はなかった。
頑張って耐え抜いてくれた傷だらけの肉体を解放してやろう。
そう思った。
だけど――。
もう少しだけ。あともう少しだけ。
愛しいあの人が、私を呼んでいる――。
島は土方の指示に従い、必死の操舵で都市帝国の下部へ降下し、死角へと逃げ込んだ。
猛攻が止み、嘘のように静寂が戻る。
進は、すぐさま駆け寄って、ぐったりと倒れている雪を抱き起こす。
雪は愛する人の気配に、消え入りそうな意識をなんとか捕まえた。
死に抗うように小さく震える雪の身体。
進の逞しい腕がその身体を抱きしめる。
雪は、最後の力を振り絞るように、ゆっくりと目を開け、進を見つめた。
彼が見つめてくれている。
何か言わなければ。伝えなければ。
雪の、少し潤んだ瞳が切なそうに揺れる。
進は、そんな雪の儚げな美しさに胸が熱くなる。
離したくない。失いたくない。
込み上げる思いをなんとか押さえ込もうと、進は唇を噛む。
進が手を取ると、雪は弱々しいが万感の思いを込めて、握り返した。
雪の唇が僅かに動く。
何か言おうと、声にならない声で必死に思いを伝えようとする雪。
その口元に耳を寄せる進。
「これからよ……。本当の戦いは……。
……地球の……みんなの願いが、込められているのよ……。
……勝ってね、古代クン……。きっと……勝ってね……。」
進は応えようとするが言葉が見つからず。
雪をじっと見つめたまま、ただ深く頷いてみせることしかできない。
「それで…こそ、古代…進……わ…たしの――」
雪は、そこまでやっと言うと、脳裏に焼きつける様に進を見つめた。
――古代進。私の、古代進。
雪の手を握る進の指先に力がこもる。
一瞬、雪はその瞳をわずかに翳らせた。
結局、私は。励ましにさえならないようなことしか言えなかった。
別れの言葉でさえ――。
みんな、にも。
私は何もできないまま死んでゆく。斯くも非力なまま死んでゆく。
私はここにいて。
一体、どれだけのことができたのだろう。
淋しさと無念さと彼への愛を抱いて、ただ死んでゆかなければならない。
それでも。
最期に彼の腕の中にいられたことを。
彼のぬくもりの中にいられたことを。
雪は幸せに思った。
最期に彼の顔を、自分の目に心に焼き付けることができて、幸せに思った。
――生きてね。古代君。生きてみんなと、地球へ――。
それが、私にとって何よりの願いなのかも知れない。
ああ……。
そんな目をしないで。
大丈夫……。
それまで私、一緒にいるから。
あなたの傍らにずっといるから。
だって私は。
私はあなたを……。
永遠にあなたを……。
雪の唇がふと。
呟くように小さく動いた。
進はその声を、耳を寄せて必死に聞き取ろうとする。
が、しかし雪は。
口元に、わずかに微笑を浮かべると、こくん――と首を落とした。
「雪っ!雪……?ゆ、き……?あ…、ああ……。」
穏やかな微笑を浮かべて雪は眠るように逝った。
進がどんなに呼んでも。
揺すっても。
その瞳は固く閉ざされて、二度と開かれることはなかった。
最愛のひと、森雪の魂はついに、彼の手の届かぬところへ去ってしまったのだ。
――嘘…だ。
こんなこと…、嘘だ…。
こんなことが、あっていいはずがない!
進は、痩せ細ってしまった雪の身体をぎゅうっと抱きしめると、もう弱々しい呼吸すらしない、その胸に顔を埋めた。
そして、まだ残るその温もり中で、ふと激しい眩暈を覚えた。
(ドウシテナンダ?ナンデコンナコトニナッテシマッタンダ?)
(ダッテ俺ハ…。君トコンナ風ニ別レルタメニ戦ッテキタワケジャナインダ!)
(…イヤ、違ウ…。違ウンダ、俺ハ…。)
(ソウ…ダ。ソウダ、俺ハ…。アノ日ノママダ…。アノ日、君ノ願イヲ…想イヲ踏ミニジッタママダ。)
(ソウシテ飛ビ出シテ、置キ去リニシテ…悲シマセタ挙句、結局、巻キ込ンデシマッタンジャナイカ…。)
(ナノニ、守ラレタ…。今度モ守ラレテシマッタ…。アノ時ト同ジ…俺ハ…君ニ守ラレタンダ…。)
雪、君は…。
俺のために。
俺みたいな男のために。
その命を今度もまた差し出してくれた…。
そう、あの時のように惜しむことも、見返りを求めることもなく。
だが俺は――。
俺は何を…?
君のために何を?
人類のため、とか。
地球のため、とか。
宇宙のため、とか。
そんな大層なことを言いながら俺は。
君を想うことすらちっぽけで。
君を愛することすら薄っぺらで。
君のために何ひとつ、しちゃいなかった。
君を待たせたまま。
ほんのささやかな願いさえ叶えてやれなかった。
俺は君の愛に何ひとつ…。
何ひとつ、応えていなかったじゃないか!!
君ほど俺を理解してくれたひとはいないのに。
君ほど俺を愛してくれたひとはいないのに。
俺は君という存在に甘えていたのかも知れない。
もう決して失うことはないと、どこかで思っていた。
いや、信じてた。
でも、雪…。
君は逝ってしまった。
最期まで俺を想って、たったひとりで……。
「ぐっ。うぅっ…。」
嗚咽なのか。
呻吟なのか。
ぎりぎりときつく奥歯を噛みしめる進の、喉の奥底から漏れ聞こえる声にならぬ声。
怒りなのか。
悲しみなのか。
胸の奥から激しく突き上げる激情。
行き場のない想いが心を支配し、進のすべてが悲鳴を上げながら侵食されてゆく。
しかしそれを。
すんでのところで抑え込む。
悲愴なまでに耐え、正気を取り戻そうと進は唇を噛みしめる。
慟哭を飲み込んだ悲痛な呻きとともに、その唇からぽたり、と深紅の血が滴り落ちた。
第1艦橋のスタッフ達も皆、悲痛な面持ちで進と雪とを見守り、その傍らに立ち尽くしていた。
制帽を胸に、静かに目を伏せ、旅立った雪に哀悼の意を表す土方。
固く拳を握り締め、唇を噛み締めて、耐えるように目を伏せる真田。
南部は涙の滲んだ顔をそむけるようにしてうつむくと、指先で眼鏡を持ち上げる。
相原は隠しもせずにぽたぽたと涙を落とし、太田に肩を叩かれて嗚咽を堪えている。
その太田も、零れ落ちる涙を服の袖でごしごしと拭っている。
そして島もまた。
ふたりに背を向けたまま、操縦桿をぎゅうっと固く握り締め、その肩を大きく震わせて悲しみにひとり耐えていた。
進は一同が見守る中、雪を抱きかかえたまま、ふと立ち上がった。
そして、唇から流れる血を拭おうともせず、慣れ親しんだ彼女の席へと運んだ。
つと、真田が歩み寄り、シートの上に飛び散ったレーダーの破片を払う。
すると、ほんの少し進が笑ったような顔になった。
辛そうにその顔を見つめ、深く頷いてみせる真田。
進は壊れかけたシートを倒すと、そこにそっと雪を横たえ、ベルトをかけた。
雪を静かに見下ろし、小さな微笑みを送ると、進は足早に自席に戻った。
(まだだ。雪の魂はまだここにいる。俺は戦うんだ。雪と一緒に戦うんだ。)
言い聞かせるように進は前方の彗星帝国を見据えると、服の袖でぐいっと唇の血を拭った。
進の表情は、悲壮というよりむしろ鬼気迫るものがあったが、その心が見えたか島は、ふと乾かぬ瞳を向けて彼を見やり、小さく頷いて、まるで魂を込めるかのように操縦桿を握り直した。
他のクルー達も持ち場に戻り、それぞれの想いを胸に戦いに臨む。
それを。
待ち構えていたかのように敵の攻撃が再開する。
幾重もの閃光が艦体を襲い、轟音とともに大きく揺れ傾ぐヤマト。
ほんのひとときの静寂はたやすく破られ、恋人たちの悲しくせつない別れすらも踏みにじらんと容赦なく牙を剥き、非情の爪を立てる。
その圧倒的な力に。
次々に倒れてゆくクルー達。
進を始め、若いクルーをいつも厳しく温かく導いてくれた、佐渡、徳川が相次いで去り――。
土方が敵攻略のヒントを与え、後を託して息絶える。
土方の遺した作戦を決行すべく、進は真田、斉藤他数名とともに敵内部に突入、激闘を繰り広げ、辛くも成功を収める。
しかし、その代償は大きく。
ともに宇宙を駆けたかけがえのない友――加藤、山本、鶴見らコスモタイガーの仲間達が、まるで盾となるようにして進を守り送って、旅立っていった……。
進は彗星帝国内部での死闘から、ただひとり生還していた。
疲弊した心と身体を引き摺りながら進は第1艦橋に戻る。
振り返り、その表情からすべてを察したように頷いて迎える四人の戦友。
そして、そっと佇んでいる雪。
指し示されたメインパネルには。
沈黙し、あちこちから静かに黒煙を上げ出した彗星帝国が映し出されている。
それは斎藤と、兄のように慕ってきた真田の命が費えたことをも意味していた。
ふたりもまた。
進に想いを託して別れを告げたのだった。
(ああ…、そうなんだ。みんな逝ってしまった。みんな、みんな逝ってしまったんだ。
俺を守って、ここに帰してくれたんだ。
山本、鶴見、加藤達コスモタイガーのやつら…。空間騎兵の荒くれ達と斉藤、そして…真田さん…。みんなが俺をヤマトに…。だから今度は――)
何も言わずとも四人はわかっていた。
彼らの心にも自分と同じ悲しみが、押し込めるようにして隠れているのが進にもわかった。
その瞳は皆一様に潤んでいる。
「今度は俺達の番だ!」
進は。
ぎりり、と奥歯を噛み締め、ぎゅっと拳を握る。
四人もまたサッとそれぞれの場所に散り、沈黙している彗星帝国に向き直る。
ヤマトは。
まだ生きている砲門全てを開き、彗星帝国を撃滅すべく、最期の力を振り絞るように砲火を浴びせかけた。
彗星帝国は焔の渦を巻きながら大爆発を起こし、巨大な閃光が当たり一面に広がった。
濛々と立ち上る火焔の中で崩壊してゆく都市帝国を、身じろぎもせず凝視していた進が、呻くように言った。
「大きな…大きな代償だった…。艦長、真田さん、斉藤、コスモタイガー……。」
(雪…。これでようやく君と…)
雪に視線を送って。
一瞬、激しい疲労感に、虚脱しかけた進は。
ふと目を擦って、スクリーンを見つめた。
――な…に?
見えたのだ。
崩落する都市の中心部から。
黒い影が持ち上がるのを。
疲れているのだ――と思った。
だが。
影は薄れゆく黒煙とは逆に、次第に色濃くなってゆくようだった。
それは。
見間違いなどではなく。
徐々にその姿を現し始める。
むしろ焔ごと殻を砕くように華々しく、自ら都市を破壊させながら、まるで見せつけるように全貌を露にした。
「こっ、これは…。」
一同は息を呑み、愕然とした。
黒光りするそれは。
ヤマトの50倍はあろうかという、超弩級の巨大戦艦だったのだ。
「そ…そんな…。そんなことって…。こんなものがまだ隠れていたなんて――」
戦いは。
まだ終わってはいなかったのだ。
むしろ、これからだったのだ。
しかし。
満身創痍でもはやエネルギーも底を尽きかけ、クルーのほとんどを失ってしまったヤマトが、どう戦うというのか。
襤褸屑のようになったヤマトを嘲笑しながら、宇宙の絶対的な支配を宣言する魔帝ズォーダー。
進は。
全身に怒りを込めてそのすべてを否定し、叩きつける様に徹底抗戦を叫んだ。
だが。
どうすればいい?
俺はどうすれば…。
進は唇を噛みしめた。
進を取り囲んで。
仲間達も歯噛みし、拳をぎゅうっと握り締めている。
今度は…。
今度はここにいる四人も失うかもしれない。
愛しいひとだけでなく。
自分にとって、心から大切に思う人達を。
いったい、どれだけ奪えば気がすむのか?
失われてゆく命の重さ、薄らいでゆく希望。
何より非力な自分自身に壊れそうになる心。
進は喘いでいた。
精根尽き果て、一瞬、気が遠くなりかけて思わず目を閉じうつむいた時。
ふと、背中で声がしたような気がした。
進は思わず振り返る。
そこには。
息絶え、静かに眠るように佇んでいる雪。
その彼女が。
小さく微笑んだような気がした。
はっ、となって顔を上げる。
――そうか。
進はこくり、と頷いた。
最期に――。
最期に君は……。
君の唇は僕に。
「愛している」と言ってくれたんだね。
なのに、わからなくてごめん。
こたえられなくてごめん。
何より、こんな時に気づくなんて。
僕はいつもこんなだ。
大丈夫。
負けないよ、僕は。
まだ戦える。
そうだね。
みんなまだここにいる。
僕はひとりじゃない。
戦える。
それに。
何より、君が。
君の魂がまだここにいる。
そばにいてくれる。
だから僕は折れないよ。
僕は。
僕らはこの戦いを終えてみせる。
きっと終わらせてみせる。
そしたら今度は僕が君に言うんだ。
僕から君に。
ありったけの想いを込めて君に。
だから――。
少しだけ。
もう少しだけ待っていてくれないか?
ひとりひとりの想いは揺るぎなく深く。
命あるものがその魂を受け継いでゆく。
生きろ、生きて活路を開け――と。
どこかで誰かが叫ぶ。
その声は――。
ヤマトとともにある沖田の魂か。
未だこの場を離れずに残る土方の思念か。
進はノイズだらけのパネルスクリーンの敵を、真っ直ぐに見据えた。
進は魂の声を聞く。
血と埃に塗れ、震える掌で命のバトンを受け取る。
そして、ただひとつの想いを胸に。
漆黒の宇宙よりも更に深く暗い闇に向かって、最期の戦いを挑む決意をした。
////// END //////