2.我が家



島大介は、帰還した後の3日間、病院での検査と静養を余儀なくされた。
病院の診断結果は要入院ではあったが、その主だった理由が過労であり、それ以外には特に案ずるような異常がなかったため、自宅での静養を希望したのだ。
それは南部、相原、太田も同様だったようで、それぞれが早々に帰宅していた。

***********************************************

本当に久しぶりの我が家だった。
大介は、何一つ変わってはいない、懐かしい我が家に、ヤマトでの出来事がまるで夢のように思われた。
帰るなり居間のソファに座り込んだ大介は、安心感からか、激しい疲労感に見舞われた。
3日間の入院をしたものの、身体のあちこちをいじられる検査と気持ちの昂ぶりとで、ろくに眠ることすらできなかったのだ。

(頭の中も、そして心の中も空にしてしまいたい…。)大介はそう思った。

「お父さん、お母さん。悪いけど少し部屋で休みたいんだ。
次郎、ごめんな。にいちゃん、ちょっと疲れちゃってるんだ。元気になったら、また遊ぼうな。」
「うん。」
次郎は頷くと心配そうに兄の顔を見上げた。
「食事は…いいの?」母が尋ねる。
「うん。今はあんまり…食べたくないんだ。」
「シャワーは?」
「いい。後で浴びる。」
「そう。」母は、暗く沈んだ大介を案じて表情を曇らせた。

大介は母の表情に、ふとせつなくなった。

「お母さん。」

ぎゅっと抱きしめる。

「どうしたの、大介。」
「ありがとう。」大介は精一杯の微笑を浮かべ、自分を気遣う母に礼を言った。
「大介…。」母は、深く傷ついているであろう息子が、家族を気遣って無理に微笑む姿が痛々しく思え、とても辛かった。


大介は鉛のように重たい身体を引きずりながら自分の部屋に入ると、灯りも点けずにドサッ、とベッドに倒れ込んだ。
疲れていた。とても疲れていた。
(考えるな。今は何も考えるな。)呪文のように繰り返し唱えながら目を閉じる大介。
闇の中に引きずり込もうと睡魔は、すぐさま忍び込んできた。大介は抗うことなく身を任せ、泥のように眠った。


「おはよう、お母さん。お!次郎、おはよう。なんだ、早起きだなあ。」
「にいちゃんが遅いんだよ!」
「そうか。あれ?お父さんは?」
「何ねぼけてんのさ?とっくに仕事に行っちゃったよ!」
「ちぇっ!なんだか次郎がお母さんみたいだな!それにしてもよく寝たなあ。昨日は結局、シャワー浴びずにじまいだ。」

大介は肩をすくめた。次郎は、そんな兄の顔をじっと見つめる。大介は苦笑して言った。

「なんだ、次郎?俺の顔になんかついてるのか?」
「今日はいつだと思う?」
「え?今日は昨日の次の日だろう?」
「もうばかだなあ、にいちゃんは。そんなこと聞いてないよ。にいちゃんさ、丸2日も寝てたんだよ。」
「ええーっ?そんなに?ホント?お母さん。」
「ホントよ。起こしたんだけど、起きないんだもの。一度、トイレに行ったから声をかけたんだけど、『まだ眠いから。』って。」

「そうだったっけ?覚えてないよ。」

「心配だから何度か部屋を覗いたんだけど、あなた全然、起きる気配なくて。よっぽど疲れてるんだと思ったら、何だか起こすのも気の毒になってしまったの。それで、ついつい放ったらかしにしたんだけど……。ごめんなさいね。
でも、叩き起こせば良かったかしら?あなた、臭いもの。」
「う…。ヒドイなあ。」大介は鼻をくんくんと鳴らせて自分の臭いを嗅いでみる。
「うわ!ホントに臭いや、俺。あははは。まあ、おかげで疲れが取れたよ。」

そんな大介の様子を、次郎はまだ、じっと見つめていた。
「なんだ?次郎。まだ何かあるのか?」大介は困ったように笑って言った。
「ううん。いつものにいちゃんだなあと思って。」次郎はニッコリと微笑む。
「ばーか。昨日は…いや一昨日だったか?疲れちゃったんだって言っただろ?」大介の胸はジーンと熱くなった。
「お母さん、先にシャワーを浴びてくるよ。それから朝飯にする。」
「はいはい。ほら次郎、さっさと食べちゃいなさい。」
「やだよ。にいちゃんと一緒に食べるんだ!」
「ホント、次郎はお兄ちゃん子ねえ。」



父も母も、そして小さな次郎でさえ自分を気遣ってくれている。その気持ちに応えるように大介は努めて明るく振舞っていた。
家族の気遣いは涙が出るほど嬉しかったが、ふと、その気持ちが辛く思える時があった。
大介にはその理由が分かっていた。

(あの戦いが…、本当に夢みたい、だな。)

ごく当たり前の、穏やかでやさしい朝のひとときだった。


「お母さん、出かけて来るよ。今日はいろいろと行かなきゃいけないところがあるんだ。帰り、遅くなると思う。」
「防衛軍本部?」
「ああ。他にもいくつか。」
「でも、ゆっくり静養してていいって…。」母は心配そうに息子を見つめた。

大介は微笑んで言った。

「そうなんだけどね。いろいろと報告しなきゃいけないこともあるし。あんまり先送りにしたくないんだ。昼はいいよ。」
「夕御飯は?」
「う〜ん、そうだなあ。夜は…また連絡するよ。」
「そう。」心なしか母は淋しげだった。
「ごめんよ。勝手なことばかりして。お父さんにもお母さんにも、心配かけっぱなしで本当にすまないと思ってるんだ。」
「大介…。わかったわ。あなたには、やらなければならないことが沢山あるのね。私達なら大丈夫。あなたがいない時の次郎ね、ああ見えて頼もしいのよ。頑張ってね、お兄ちゃん。」母は息子の背中をぽんっ、と叩いて言った。母は自分の胸中を深く理解してくれていた。大介は思わず目頭が熱くなるのを感じた。
「ありがとう、お母さん。おーい、次郎!にいちゃん、行ってくるなー!」

と、次郎が玄関に勢いよく走ってくる。

「ま、待って!ひどいよ!トイレに入ってる間に出かけちゃうなんて。いってらっしゃい、にいちゃん。」
「おう!」


ドアを開けて家を出ると、真っ青に晴れ渡った空が大介を迎えた。それだけで、自分の心が癒される気がした。
だが。
大介には、どうしても会わなければならない人がいた。その人を思うと、再び心に闇が降りてきそうだった。