紡ぐ糸


仕事三昧、すれ違いのひと月が過ぎて――。
たった3日だが、ようやく二人揃っての休暇が取れたというのに。
突然、森雪の方が出勤となってしまったため、一緒に過ごせる時間は1日だけになってしまった。

「ごめんね、古代君。」
遅い食事を取りながら、俯いて謝る雪。
彼女の落胆振りがあまりに大きくて、進は苦笑しながら、仕方ないさ――となぐさめる。

それでもやっぱり、雪は大きな溜め息をついた。
「いろんなこと、計画してたのにね。ほんと、残念……。」

「でも、あと1日あるじゃないか。そう、がっかりするなよ。」
進は雪のサラダのトマトをつまみ食いしながら、にっこりと微笑んだ。
それから、こほん、とひとつ、咳払いすると、なんだか、もったいつけたように切り出した。

「実はさ。ちょっと思いついた計画があってさ。」

「なに?」
きょとん、としている雪。

「ううん。あのさぁ、ええと――」
もごもごしている進。

「なによ?はっきり言いなさいよ。」
じれったそうな雪。

「明日、温泉、行かないか?」
言ってから進の顔が、かぁっと赤くなった。

「え?なんて?」
雪は耳を疑った。

「温泉、行かないか?」

「おん……せん?」
目を丸くして進を見つめる雪。

「うん、温泉。……っていっても、宇宙戦士訓練学校のなんだけど。今、期間限定でさ、民間にも解放されてるんだよ。」

「そうらしいわね。私も聞いた。でも、あれって――」

「そ。ホントは医療目的のための――なんだけどさ。」

「でも、そんなプール感覚で行くところでもないでしょ?」

「かも知れないけど……まあ、そう言うなよ。
ちょっとした御褒美のつもりなんだと思うんだけどさ。軍の方から回数券が支給されたんだ。家族もOKっていうから、どうかな、って思って。なかなかよくできてるらしいぜ?」
進は、そう言って照れ臭そうに鼻の下をこすった。

「うん……。」
躊躇しつつも、家族もOKだから――という進の言葉に、雪はちょっと嬉しくなった。

「ダメ?温泉っていっても水着着用のとこだからさ。平気だよ。券、捨てちまうのも、もったいないしさ。
キミも休み返上で仕事してきて疲れてるだろ?俺もずっと根つめてたからさ。なんだか最近、ストレス溜まってきちゃってるんだ。なんていうか、その、のんびり温泉に浸かって身体、ほぐしたい、ってのが本音。」

「ううん……。そうね!それじゃあ、行ってみようかな。温泉なんて、ホントに久しぶりだし。」

「じゃ、決まり!」
進は嬉しそうに親指を立てた。



************************************************************************************


『訓練学校温泉』は、東屋のある落ち着いた純和風・岩造りの露天風呂だった。
進は先に湯に浸かり、雪の来るのを待っていた。

(ふうぅ……。気ぃ〜持ちいい〜っ!やっぱ、いいよなあ、温泉は!何年ぶりになるんだろう?いやあ、ゴクラク、ゴクラク。)
凝り固まっていた筋肉が、ゆっくりと解れていく。あまりの心地良さに、進は空を仰いで目を閉じた。

と。
頭上から、やわらかな声が降って来る。

「お待たせ!」

仰け反って見上げると、雪が覗き込むようにして微笑んでいた。

「雪……?」
慌てて振り返り、改めて彼女と向き直る。

「う、あ……。」
凝固する進。

「なに?」
小首を傾げる雪。

その名の通り、雪のように白い肌。
細くて、眩しいほどに伸びやかな肢体。
それを覆う布地は、当然、いつもより少ない……。

 水着姿の……雪……。
 水着姿の……雪……。
 水着姿の……雪……。

進は、全身が、かぁーっと熱くなるのを感じた。
湯には5分も浸かっていないのに、クラクラとのぼせそうだった。

ぶんぶん、と、アタマを数回横に振って、正気を取り戻す。
大きな深呼吸をひとつして、ぎくしゃくと雪の手を取って隣りに招く。

ドキドキと早鐘のように鳴っている胸の鼓動。
火照ったままの顔。
雪に悟られまい――と、わずかに離れて座る。

それから、なんとか平静を保とうと、もう一度、深呼吸してみる。
それでもやっぱり、意識しすぎて話題に詰まる。

「ええと。そ、それ、タンキニとかって、言うんだよね?」
――なに言ってんだ、俺。水着の種類なんか聞いてどうすんだよ。

それにしても情けないほどに上ずった声。
いや、それどころか裏返っていたかも知れない。

「ウン、そうよ。やだ!どうしたの?何か期待してた?海やプールじゃないんだもの、一番おとなしめなのを選んできたのよ。
あ!もしかして、こぉ〜んなで、こぉ〜んなビキニ、想像してたり?」
純情な進の気も知らないで、雪はからかうように際どいカットの水着を大袈裟にジェスチャーしてみせた。

「ち、違うって!!ゆ、雪の水着姿見たの、初めてだったし……。雪はそういうの着るんだなあ、って思っただけで。それにその水着……なんていうか……キミに似合ってて、そのぅ、かっ、かわいいよ。」
しどろもどろになりながら進は、なんとか取り繕おうとした。

実際のところは、雪にはむしろ、露出度の高いセクシーな水着――などというのは着て欲しくなかった。
いや、いつも多くの男達の目を引きつけてやまない魅力的な彼女が、自分の彼女であることを見せつけてやりたい――というキモチも、正直なところないわけではなかったけれど、それよりも、スケベで下心イッパイの野郎供に、自分でさえまだロクに見てもいない、彼女の美しい肢体を舐めるように見られる――などというのも何だか、いや、かなり不快だったのである。
「おとなしめなタンキニ」と本人はいうが、進の目には充分「布地面積少なめ」に見えたし、一応、満足――だったのであるが、「大胆な水着姿の雪」というのも見てみたい――という下心は、心の奥底では大いに「アリ」であった。
なので――。
進は微妙に後ろめたくて顔を上げられなかったのである。

そんな下向き加減の進の隣りから、雪は泳ぐように正面に移動した。
「気持ちいいわねえ。こんなに素敵な温泉だなんて、正直、思わなかったわ。」

無邪気に微笑む雪に、ますます全身が火照ってくる進。

雪は、温泉に入るのを楽しみにしていた割には、なんだか反応の薄い進に、怪訝な表情を浮かべながら近寄ると、顔を覗き込んだ。
「どうしたの?もしかして、もう、のぼせちゃった?大丈夫?」
真っ赤な顔の進に、心配そうな顔になる雪。

「うわ……。」
見上げたその目に、雪の胸元がアップで飛び込んでくる。

(あ……。)
慌てて目をつぶろうとした時、彼女の胸ではなく、別の何かが、ふと目にとまった。
雪の胸の下、やや左寄りに隠れるように、薄くて判り辛いが傷痕が覗いているのに気づいたのだ。

進は、はっ、となって目を逸らした。
しかし、雪は彼の視線に気づいて、その傷痕をそっと抑えて小さく笑った。
「これ、子供の頃にね……。」

「そう、なんだ。その……ごめん。」
目を逸らしたまま、俯く進。

「別に謝らなくてもいいのに。」
雪はやわらかな微笑を浮かべた。

「ちょうど、このへんからこう――」
雪は両胸の間から左胸の下にかけて人差し指を斜めに滑らせた。
「10センチ弱くらいかしら?あるのよ。普段は殆ど目立たないんだけどね。身体が温まって血行がよくなったりするとわかるのよね。」

雪はまったく気にしていない様子だったが、進は申し訳なさそうに、うつむいたままだった。

「いやだ!なんで古代君が落ち込むのよ。気にしてたら水着になんてならないわよ。」
雪は苦笑した。

「うん……。でもそれ、ひどい怪我だったんだろ?」
眉を顰め、いたわるように傷痕を見つめる進。
雪は、進をつくづくナイーヴなひとだ――と思った。

正面から進の隣りへ座り直して、雪はふと空を見上げる。
それから、つぶやくように言った。
「9歳の頃、だったかなあ。私、父の仕事の都合で少しの間、スウェーデンにいたことがあってね。ルンドっていうところなんだけど。」

「え?どこだって?」
進が顔を上げる。

「ルンドよ。」
にっこりと進を見やる雪。

「知らないなあ。俺、スウェーデンっていったらストックホルムくらいしか知らないから。」
進は鼻の頭を掻いた。

「大きな大学があるのよ。」

「ふうん。」
今度は鼻の下をこする進。

「最終的にはストックホルムに行く予定だったんだけど。そのルンドでの父の仕事が終わって、次にマルメっていうところへ行こうとしてた時にね。遊星爆弾が落ちて――」

「遊星……爆弾が……?」
進は一転、厳しい顔つきになった。

「爆風で吹き飛ばされちゃって……。実を言うとね。これ、その時の怪我の痕なの。」
雪はそう言って、どこか遠くを見た。

「父と母がね、移動の途中、知り合いのお宅へ寄っていて、私だけ車に残っていたんだけど――」




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


ルンドからマルメへ行く途中――。
雪の両親は知人宅へ立ち寄った。
頼まれていたディスクと書類を届け、2、3話をするだけの用件だったため、娘を置いて二人だけで降車した。

雪は車中にひとり残され、両親が戻るのを待っていた。
退屈しながら窓の外を眺めていると……。
通りの向こう側の家から犬が柵を飛び越え、車に向かって走って来る。
大型犬の雑種だったが、まだ仕草の幼い、むくむくとした子犬で、かわいさのあまり雪は思わず車外に出た。

「こんにちは、わんちゃん。おうちを抜け出しちゃって叱られない?」
雪はそう言うと、にっこりと微笑んで、じゃれつく子犬を抱きしめた。

遊び相手を見つけた雪は、そのお転婆振りを発揮して、広大な敷地の芝生の上で駆け回ったり転げたり――子犬をかまいながらしばらく遊んでいた。
やがて、用事を終えた父親に呼ばれ、名残惜しそうに子犬に別れを告げる。
「バイバイ、わんちゃん。また会えるといいね。」
雪は、くりくりとした瞳で自分を見上げる子犬の頭をやさしく撫で、小さく手を振ると車へと駆け出した。
しかし、すっかりなついてしまった子犬は、無邪気に雪の後を追いかけ、足元にじゃれついて来る。
「だめよ。」と立ち止まった時、子犬が突然、後ろを振り返り、小さく唸りながら怯えるように身を低くした。
そして、空を見上げると甲高い声を上げて吼え立てた。
「どう、したの?」
吠えながら身を竦める子犬に、雪は怪訝な面持ちで小首を傾げながらその場にしゃがんだ。

背中で父親が大声で何か叫んだ。
尋常ではないその声に、はっ、となって振り返った、次の瞬間――。
轟音と共に空気が震えた気がした。
背中の方で眩い閃光が炸裂し、耳を劈くような衝撃音が襲う。
目の前が歪んだような気がした、その刹那――。
猛烈な風が襲い、小さな雪は木の葉のように飛ばされた。

何が起こったのか、雪には何もわからなかった。

……。
……。
……。
……。
痛い。
全身が痛い。
特に胸が激しく痛む。
痛みに、ゆっくりと意識が戻る。

私、どうしたんだろう。
どうしてこんなに身体が痛いんだろう。
いったい、なにが……。
なにが起きたというの?

雪には何もわからなかった。

遠くで子犬の悲鳴を聞いたような気がした。
うっすらと目を開ける。
ぼんやりと霞む視界。
ゆっくり、少しずつ焦点が合っていき、雪は現状を確かめようと、目を凝らした。
あまりはっきりとしない視界の中には、半身が何かの下敷きなって、激しくもがいている無惨な子犬の姿が映った。

「あ……。う……。」
叫びたいのに。
声は吐息のように喉から漏れて、発することができない。
身体も動かない。
何より息が苦しい。
知らず、両の目から涙が零れ落ちる。

パパ。ママ。どこ?
怖い。怖いよ。
助けて!
パパ!ママ!
来て。私のところへ来て!

声が……でないよ。
息が……できないよ。

私、死んじゃうのかな?
パパ……。
ママ……。
私をひとりにしない……で。

涙のせいなのか、意識が薄れていくせいなのか、何も見えない。

何処か遠くで、父と母の声を聞いたような気がしたが、答えることもできず、雪はそのまま意識を失った。



************************************************************************************


次に気がついた時には、病院のベッドの上だった。
両親も同じ病院に運ばれていたが、外傷の程度は軽く、放射線症の検査と治療を待っている状態だった。

知らない顔が自分を見つめている。

オンナノヒト……?
トテモ、キレイナオンナノヒト――。

誰……?
誰なの?
ここは……。
ここはどこなの?


「『ユキちゃん』だったわよね。辛かったでしょ。でも、もう大丈夫だからね。」
そう言って微笑む白衣の女性に、雪は小さく頷いて、何か喋ろうとした。
しかし、声にならない。

パパは?ママは?

覗き込むようにして自分を見つめている女性に、声にならぬ声で懸命に尋ねようとする、雪。

あなたは、お医者さん……?
ここは、病院?
パパはどこ?ママはいるの?

――聞きたいことがたくさんあるのに、殆ど声が出ない。
思わず涙が零れ落ちる。

「いいのよ。喋らなくて。パパとママなら大丈夫だから。心配ないわ。」
女性はそう言って、やさしく微笑むと、雪の髪をそっと撫でた。




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「私、爆弾が落ちた瞬間の記憶も、爆心地の悲惨な状況の記憶もなくて、自分がどういう状態にあったのか、全然、わからなかった。
後になって、落ちたのは小規模な爆弾――って聞かされたけど……。
でも、それでもあそこは……。
爆心からおよそ半径1000メートル圏内が壊滅的な被害を受けてしまった――って。
一帯は……硝煙と死臭が立ち籠めていて、正常な精神状態なんて保てない程に凄惨な状況だった――って。
ヒトから何度も何度も聞かされた……。
……
私達……よく生きていたと思うわ……。」
雪は俯き、、深い悲しみに瞳が翳る。

進は言葉もなく、ただ唇を噛んだ。

「当時、病院は爆弾の被害に遭った人達で溢れ返ってた。
ベッドはもちろん、治療にあたるお医者さんも看護師さんも足りなくてね。怪我をした人達が床にまで横たわって治療を待ってるような有り様だったの。」




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


女医は焦っていた。
彼女が受け持った応急処置室の「ユキ」という少女が、目に見えて弱ってきていたからである。
病院は次々と担ぎ込まれる怪我人で溢れかえり、重症患者ですら順番待ち状態にあって集中治療室が空かない。
――早くこの子を移さないと……。
女医は、イライラと壁の時計を見上げた。

と。
ガラッと勢いよくドアが開いた。
黒縁メガネの、ひょろりと背の高い医者が顔を出す。

「カール!」
「待たせたな、クリス!早くその子を向こうに移せ!俺は隣りの助っ人にまわる!向こうはエリックとヨハンが待機してる。」

クリスと呼ばれた女医は、彼の言葉に安心したように、ほうっと深い息を吐いた。

「よかった!すぐ移すわ!この子をこれ以上待たせるのは限界かなって思い始めてたとこだったの!」

「そうか。すまなかったな。今、運んだ患者もかなり厳しい状態でさ。思った以上に時間がかかっちまった。じゃ、後は任せたぞ。」
カールは、軽く手をかざして笑った。


雪を搬送する途中、クリスは、後ろから誰かに腕を掴まれた。
急いでいるところを止められ、クリスは眉間に皺を寄せて振り返った。
腕を掴んでいたのは背の高い40代後半と思しき男で、汚れてしまってはいたが、高級ブランドのスーツを着ている。
その男が、やや高圧的とも思える態度でクリスを見下ろして言った。
「キミは確か、クリスティーン・アール、だったね?」

「はい。そうですけど?」
クリスは答えながら胡散臭そうに男を睨んだ。

「やはり!若手の中では5本の指に入る名医と聞いてますよ。お会いできて光栄だ。」
男は、クリスの手を両手で握りしめ、ころりと態度を変えた。

「はあ。あの私、急いで――」
男をかわして、その場を立ち去ろうとするクリスだったが、無理矢理、引き止められた。

「なるほど、ニッポンのマリ・カミクラと双璧を成す美貌の女医とは聞いていたが、本当に美しい方だ。」

「それはどうもお褒めに預かりまして。でも、私、今、とっても忙しいんですよね。重体の患者が大勢、待っていますので。」
男から歯の浮くような称賛を受けたが、しかし、付き合っている猶予はない。
クリスは、やんわりと男の手を払った。

しかし、男は懲りずに彼女の袖を引く。
「いや、大変申し訳ない。実は名医のキミに折り入って頼みがある。
私はアメリカの上院議員のマシュウ・ライアンという者だが、こちらに所用で赴いていて、この大惨事に巻き込まれてしまったんだ。
見ての通り、私は大した外傷もなく済んだのだが、娘が肩と背中にひどい怪我を負っている。診てはもらえないかね?」

マシュウの視線の先に、見たところ17、8歳くらいの娘がおり、廊下のソファに横たわっていた。

――そういうことか。
クリスは大きな溜め息をついた。

仕方なく、小走りに行って娘の怪我の様子を診てみる。
そして、すぐに戻って男に言った。
「彼女、一応、応急処置は済んでいるようですね。申し訳ありませんが、もう少しここで待っていてもらえますか?誰か手が空いたら一応、声掛けてみますけど。確かに浅い傷ではありませんが、でも、この程度なら、ちょっと待っていただくようになると思いますよ。ホントに申し訳ないですけど、私、診なければいけない患者がいますので、これで。」

立ち去ろうとするクリス。
しかし、尚も執拗に押し留めるマシュウ。

「おい。おい!ちょっと待ってくれ!私は招かれてこちらに来ていて巻き込まれたのだがね。それがまさか門前払いとは――」

声を荒げるマシュウに、クリスも毅然と言葉を返す。
「門前払いなんてしてませんよ。待って下さいと言ってるんです。それに招かれて巻き込まれた、ってヒトのせいみたいに仰いますが……無差別にバクダン落としてったのはガミラスとかいう異星人でしょ!」

「そ、そうだが、しかし……。
見てのとおり、娘は重傷を負っているんだ。腕の確かなキミに診てもらいたい、とこうして頼んでいるんだよ。」
食い下がるマシュウ。

「私じゃなくても大丈夫かと思いますが。研修医でも問題なく対処できる程度の傷ですし。それに待ってもらってる患者さんはあなた方だけではないんですよ。
あ、ちょっとあなた!ついて来られても困ります。戻ってください!」

振り切ろうとするクリスに、今度は哀願するマシュウ。
「痛むらしくて辛そうなんだよ。診てくれないか。大事なひとり娘なんだよ!頼む!診てやってくれ!」

クリスは立ち止まり、マシュウと向き合うとストレッチャーの雪を指差して言った。
「お気持ちはよくわかります。ですが、この子も急を要するんです。目に入りませんか?どうみても、あなたの娘さんよりもずっとずっと小さい、この子。
見ての通り、瀕死の重傷なんですけどね。泣き言ひとつ言わずに、怪我をした、自分よりも小さい子を見て、先に診てやって欲しいって言いましたよ。」

「……。」
横たわる小さな少女がようやく目に入り、ハッとなると、言葉を失うマシュウ。

「あなたがどんなおエライさんかは知らないですけど、私は重篤な状態の患者から診ますから。肩書き、身分に関係なくね。
さっき、ざっと診ましたが、あなたの娘さんの怪我の程度は、そう重いものではありません。既に応急手当も済ませてあります。すぐにすぐ命に関わってくるような状態じゃないですから。順番、待って下さい。お願いします!」
クリスは、ピシッと言った。

「そこをなんとかしてくれ、と――」
呻くように懇願するマシュウ。

「時間が惜しいんです。こんなことに時間とられていたら助かる命も助からなくなりますから。ここから出てください。」

イライラとマシュウを払い除けようとした時、彼の娘が覚束ない足取りで近づいてきた。
そして彼の袖を強く引いて言った。
「お父さん、やめて!もういいから。もう血も止まっているし、私、ガマンできるから。」

「しかし……。きちんとした治療が遅れてどうにかなってしまったら――」

マシュウが言いかけた時、眠っていた筈の雪が、クリスの袖を、くい、と引っぱった。
それから、やはり声にならない声で言った。
「あの、せん……せい。わ、たし。だい、じょうぶです……から。診てあげ……てください。」

「この子ね、後回しにしたら死んじゃうかも知れないのよ。あなた、これでも娘さんを先に、って言えるの?」
クリスは健気な雪の姿に、ついに声を荒げた。

と。
マシュウの代わりに娘が深く頭を垂れた。
「ごめんなさい、先生。父を許してやって下さい。私を思ってのことなんです。私、大丈夫ですから。早くこの子を助けてあげて下さい!」

クリスは、ふっ、と顔を綻ばせる。
「わかってくれて有難う。ここのスタッフみんな、頑張ってるから。あなたのことも必ず診るから。痛むだろうけど、待っててね。」

「はい。」
痛みを堪えて微笑む娘。

クリスは娘からマシュウに視線を移すと小さく笑った。
「よくできた娘さんね。あなたがかわいくて仕方ないのもよくわかるわ。でも、もう少し待っていて下さい。本当にごめんなさい。」

冷静さを取り戻したマシュウは自分を恥じるように、掌でしばし顔を覆った。
それから。
小走りにクリスを追ってストレッチャーの雪を覗き込むと、微笑みながら言った。
「頑張るんだぞ。先生がきっと助けてくれるから。負けるんじゃないぞ。」

クリスは既に意識のない雪の代わりに微笑を返すと、「任せといて!」とライアン父娘にウィンクしてみせた。




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

「病院のスタッフ達はみんな、文字通り奔走してた。彼らだって同じように放射線を浴びていただろうし、怪我をしている人だっていたのに。
でも、みんな自分のことは後回しにして、不眠不休といってもいいくらい限界まで駆け回ってた。
私が医療関係の道に進もう、って思ったのは、あの病院のスタッフ達の姿がきっかけだったの。
私がこうして生きて、元気でいられるのも、あの病院のスタッフのおかげでもあるしね。
そうそう、その中で誰よりもテキパキ元気に動いてて、どんなに疲れていても笑顔を絶やさずに、患者さんの精神状態までケアしていたのが、私を助けてくれた『クリスティーン・アール』っていう女医さんだった。
彼女、美人で颯爽としてて、とっても素敵だった。
私、彼女みたいなお医者さんになりたかったの。クリスは私の憧れだったのよ。」

「そうか……。君が医療関係の道を目指したのには、そんないきさつがあったのか。
俺の場合は兄貴が憧れでもあり目標だったな。」

「ふふふ。古代君、守さんのこと、大好きだものね。兄弟がいるっていいなあ、ってうらやましくなるくらい。」
雪は、お湯を小さく揺らして笑った。

「結局、医師から看護師へ方向を変えちゃったけど、後悔はしてないわ。そのことについては以前にも少し話したと思うけど……。」

「うん……。
俺は……親父やお袋や友達が犠牲になって、人生観が180度ガラリと変わっちまった。
それまでの俺は、兄貴が呆れるくらいの平和主義者だったからさ。
でも、あの日を境に、俺の心はガミラスへの復讐心でいっぱいになってしまったんだ!
本当にガミラスが憎くて憎くてたまらなかった……。
親父やお袋みたいに死んでいった地球の人々のため、いや、善良でなんの罪もない地球の人々の命をこれ以上失わせないために、自分にできることはなんだろう、俺にやれることはなんだろう――って、ずっと考えてた。
……俺は一流の宇宙戦士になることで、兄貴のようになることで、それが果たせるんじゃないか――って、歯を食いしばって努力した。
――そうして、ヤマトに乗った……。
それから後のことは……君も知ってるとおりさ。」
進は両の拳をギュッと握りしめ、当時の思いをやや自嘲気味に、噛みしめるように語った。

「古代君……。」
雪は、ふっと瞳を翳らせ、労るように進を見つめたが、進は気づかず、湯気を立てながら揺らぐ水面に淋しく視線を落とした。

「ホント、あの頃はガミラスとの戦いは終わらないばかりか、ますます激化して、戦況は悪くなる一方だったものね。
自分だって、いつまた命に危険が及ぶかわからなかったし……。
私も……私もこのまま何もしないで終わるのなんてイヤだ、って思ってた。
それは私の自己満足に過ぎず、驕慢かもしれないって思ったけど、それでも何もしないままでいるのはイヤだったの。
だから、時間のかかる医師への道を一旦、諦めて、看護師になろうって決めたの。
身体が治ってからも、クリスには沢山アドバイスをしてもらったわ……。」
胸の傷痕にまつわる子供の頃の出来事と決意とを話し終えると、雪は小さく息をついた。

「クリス、どうしてるかなあ。元気かなあ。」
しみじみと懐かしむように、雪はすっきりと晴れ渡った空を見上げた。
しかし、傍らの進は、つい先程までの温泉デートの高揚した気分はすっかり消沈してしまったのか、肩を落とし、深く項垂れている。

「ごめんね、古代君。」
――せっかく楽しく過ごす筈だったのに、私のことで悲しませてしまった……。
雪は申し訳なさそうに謝ると、俯く顔を覗き込んだ。

進は、雪の視線に気づいて、はっ我に返ると、ちょっとバツが悪そうに小さく微笑んだ。
「あ、いや。なんで君が謝るんだよ。俺こそゴメンな。なんか話が暗くなっちまってさ。」

しかし、そんな進に小さく首を振って、ただやさしく微笑み返す雪。

進は胸がきゅんとなって、しばし、切なそうに彼女を見つめた。
雪は黙って、また空を見上げた。

その横顔に、進はつぶやくように言葉をかける。
「それにしても……。君も俺と同じ、爆弾の犠牲者だったんだな……。」

「え?あ、ああ。うん……。でも、あの時の怪我は病院の先生達のおかげで全然、問題なく完治したし、そりゃあ、『すべて正常値』なんてワケにはいかないけど、放射線症の方だって、その後の検査値、ずっとクリアしてきたわ。だからこそヤマトにだって乗れたわけだし――」

もう心配ないのよ――と言いかける雪を遮って、代わりに進が言葉を継いだ。
「いや、俺……。君のこと、ほんとに何も知らないんだな、って思ってさ。」

「これからよ。」
雪はちょっと困ったように微笑んでから、そう言って、すまなそうにまた項垂れてしまった進の肩にそっと頭を乗せた。
「これから知っていけばいいじゃない。私だって古代君のこと、知らないことだらけよ。」

囁くような雪の声が耳をくすぐる。
進は、わずかに頬を赤らめたが、しかし、ごく自然に。
もう、ためらうこともなく。
そっと雪を抱き寄せて頷く。
「そうだな。そう、だよな。」

進の顔にようやく笑みが戻ったが、雪はまだ心配そうに進の様子を伺う。

「ごめん。大丈夫だよ。君の話を聞きながら、ガミラスが残した爪痕の深さを、改めて痛感したんだ。」

雪は、そうね――と呟く様に言って、さっきまでの進のように、悲しげな表情を浮かべた。

「あ、いや……。君まで落ち込んじゃうこと、ないだろ。ほんとにごめん。」
今度は進が困ったような顔になって、雪を覗き込む。
と。
雪は、ちゃぽんと小さな水音を立てて進の前に回ると、彼の唇に自分の唇をそっと重ねた。

「好きよ、古代君。」

軽く触れ合うだけの、やさしいキス。

進は、全身の血がくわぁーっと遡り、熱くなるのを感じた。
顔がみるみる紅潮していくのがわかる。
心臓の鼓動は、もう飛び出すほどの激しさだった。

対して雪はというと。
そんな自分を、おだやかな微笑みを浮かべて見つめている。

 ――何か言わなければ。
 ――何か答えなければ。

思えば思うほど、進の思考回路は混線してゆく。
ついに、頭の中は真っ白になった。

「え…と……。お、俺もだよ、雪。
いや、あのさ。俺も君のことが……。
その……。
好きだ!大好きなんだ、雪!」

雪は一瞬、目を丸くした。
が、すぐにくわぁっと顔を綻ばせて、進に抱きついた。
進も応えるように強く彼女を抱きしめる。

雪は進の耳元で囁く。
――これからは二人の日々を、二人で紡いでいきましょう、と。
――そうして紡いだ糸を、今度は共に織り合わせていきましょう、と。

進は大きく頷いて、やさしい微笑みを送ると、もう一度、雪を抱きしめた。


二人に遠慮したのか。
それとも、すっかり呆れてしまったのか。
『訓練学校温泉』にはもう誰もいなかった。
けれどそれにも気づかぬほどに、二人は。
ようやく訪れた、おだやかなときの中に身を委ね、束の間の幸せをかみしめるのだった。


END








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■ちょほいとイイワケ
この話は、もともと20000アクセス記念・ご本人様出演企画として書き始めたものでした。
当初は意気揚々と書き始め(笑)、明るく楽しい温泉話に仕上げる筈だったんですが、どういうワケか、その……ですね。
書き進めていくうちに、どんどん長くなっていっちゃいまして、そうこうするうちにナンだか気分までが滅入ってきて、どんどん暗くなっていきまして……。
早い話、そのう…壁にぶち当たってしまいました……(汗)

結局、20000アクセス記念として書いたものは、これとは全然、別物になってしまい、しかも、ちょっぴり切ない話になってしまいました。

ところで。
「My darling」の後書にもありますように、あの話とこの話は繋がっていたりします。
20000アクセス記念として、もう1作品、未完の話があるんですが、これはクリスと真田さんの、割とライトな話。
しかしながら、これも書けば書くほど泥沼――という特大スランプに陥りまして、もうまったく書けなくなっちゃいました……。
で…結局、第1弾同様、途中でうっちゃらかしちゃったんですな。
ああ、ダメな私。ホントにダメな私……(涙)

でも、なんとか仕上げまして、近いうちUPする予定でおりますので、最終的には『クリスティーン・アール(Christine Earl) 3部作』になりそうですかね。

さて。
この話を書くにあたって、私、雪ちゃんをとんでもない設定にしちゃってます。すいません!
なので、実は混乱しないように雪ちゃん専用年表まであったりします!(爆)