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Chapter 1
Nightmare
「人形じゃないわ……。私は。」
呻くように呟いて、彼女は目を閉じた。
身も心も疲れ果てて、もう動くこともできなかった。
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(1)
古代進は休暇の間中、森雪を離さず側に置いた。
雪の存在は、彼にとって最良の安定剤になるだろうと誰もが思っていた。
事実、進は雪を必要としていたし、雪もすべて受け入れる覚悟でいた。
しかし――。
進の手負いの心は、雪の心をも侵蝕していったのである。
進は毎晩のように彼女を抱き、毎晩のように激しく魘された。
二人にとって、擦り減るだけの日々が続いた。
その夜も、何かに憑かれたように激しく雪を抱いた後、突然、突き放すように彼女を遠去けた。
そして眠ったかと思うと、突如、激しく魘される。
「古代クン、起きて!しっかりして、古代クン。」
雪の声に、ハッと目を覚ます進。
全身からドッと汗が吹き出し、肩で息をする。
思わず差し伸べられた雪の手。
反射的に振り払う進。
沈痛な面持ちの雪……。
(なんの力にもなれないのね、私……。)
(私はどうすればいい?私に何ができる?)
雪はシーツを胸まで手繰り寄せると、顔を埋めた。
その、小さく震える肩に残る痛々しい傷痕。
進は、それを虚ろな瞳でボンヤリと見つめた。
突如、がばっ――と起き上がると、進は傍らで蹲る雪からシーツを乱暴に剥ぎ取った。
(ああ、また始まる……。)
怯えるように顔を上げる雪。
「古代……クン。」
腕を掴んで強引に引き寄せる。
カーテンの隙間から忍び込む月明かりに、蒼白く浮き上がる雪の肌。
震える指で、そっと触れてみる。
逃れるように、ぴくり――と跳ね上がる華奢な肩。
肩の他に――。
彼女の身体のあちこちに、無数の傷痕がある。
陸戦隊とともにパルチザンとして、命懸けで戦った証。
最愛の雪までも、失っていたかもしれない、苦しく忌まわしい戦い。
進の顔が、何かに怯えるように、にわかに引きつり始める。
頭を抱え、全身をガクガクと震わせる。
……。
……。
コワイ……。
コワイ……。
カノジョマデ、ナクシテシマッタラ……。
オレハ……。
ソウダ!
カノジョノ、ウツクシイカラダニ、コンナニタクサンノ、ヒドイキズアトガアルノモ、オレノセイダ。
オレガ、アノトキ、モット、シッカリ、テヲニギッテサエイタラ、コンナニ、キズヲツクラズニスンダンダ……!
アア、ソウダ!!
ユキダケジャナイ!
サーシャモ!!サーシャダッテ、ソウサ!!
ナニヨリ、オレハ、サーシャヲ、ミステタ。
アノトキ、ドウシテ、アソコニ、カノジョヲ、オイテイッタリ、シタノダロウ?
ナニガナンデモ、ヒッパッテクレバヨカッタンダ。
オレノセイデ、カノジョハ、シンデシマッタンダ。
コレカラダッテイウノニ。
カノジョノジンセイハ、スタートヲキッタバカリダッタノニ!!
オレガ、オレガウバッチマッタンダ!!
ニイサン、ゴメン。ニイサン、オレハ……。
オレハ、カノジョヲ…マモッテヤレナカッタ……。
進は嗚咽しながら頭を抱え込むと激しく振った。
そして――。
怯えるような表情が、激しく攻撃的なものに、みるみる変貌していった。
(2)
(ああ……なんて……。)
見兼ねて雪は、進を抱きしめようとした。
「あ……。」
進は不安を払拭するように雪を組み敷いた。
「本当にキミとサーシャは、よく似てる。嫌味なくらい似てるよ。キミの顔を見ていると、イヤが上でもサーシャを思い出しちまうんだ。」
叩きつけるような言葉
まるで自分を憎んでいるかのような瞳。
「痛い……わ。離して。古代クン……。」
「俺が殺したんだ、サーシャを。もっと何かできたかも知れないのに。」
「あんまり自分を責めないで……。だって――」
雪の言葉に進は、押し込めていた感情を一気に爆発させた。
「キミも――仕方がなかったっていうのか?真田さんや島みたいに、仕方がなかったって!!そうやって忘れろっていうのか?」
「そんなこと言ってない。真田さんだって、島くんだって!!それに忘れろだなんて誰も――」
「わかってるよ……。辛いのは俺だけじゃないって、そう言いたいんだろ。
親代わりだった真田さんなんか、きっともっと辛い。そう言いたいんだろ?
もう、いいよ。誰も俺の気持ちなんかわからないんだ。」
「古代……クン。」
進は、雪を押さえつけていた両手を離すと、自分の頭を抱え込むようにして深い吐息をついた。
雪は上体を起こすと、悲しげにうつむき、シーツをギュッと握り締める。
進は、フッと冷笑すると、再び雪に向き直り、彼女の小さな顎を、くいっ、と持ち上げた。
「キミが例の……敵の将校と……そんなことになったのも仕方がないことだったんだろ?」
(3)
思わず口をついて出た言葉。
進は、ハッとなって後悔したが、もう後には引けなくなっていた。
一瞬、凍りついたような雪の表情。
「ひどい…わ、古代……クン。それは――。」
進の言葉は、ナイフのように雪の心を切り裂いた。
涙を懸命に堪えて、全身を小刻みに震わせながら、雪は進に訴える。
「あなたが……あなたが生きているとわかっていたら……私、あそこからなんとしてでも逃げようとしたと思うわ。」
「……。」
進は雪から目を逸らし、ぎゅっと口を結んだまま何も答えない。
「でも、あのヒトは高速艇に乗っていた者すべてが死んだと言った。嘘とは思えない口ぶりだった。
あの時――。みんなが、ううん……あなたが死んでしまったってことだけしか私の頭の中にはなかった。
本当にショックだった。自分が捕虜だという立場さえ忘れたくらいに。
負傷してたってこともあったけど、私、しばらくの間は自分が生きているのか死んでいるのかわからないくらい、泣いて……ずっと泣いていて……。
後は…ただ、ぼんやりしていたように思う。
正直に言うと、その間のことは、あんまり記憶にないの……。」
進は、やはり無言で雪の話を聞いている。
雪は苦しげに、一度、息をついた。
「あのヒトは……捕虜の私を丁重に扱ってくれたわ。客人扱いといっても過言ではないくらいに。同時に……明らかに私に好意を抱いているということもわかった。実際、彼に告白もされたわ。
でも、そんなの、そんなの、あなたがいないからって受け入れられるわけがないでしょう!!あなたが死んだなんて、そんなこと、自分で確かめたわけじゃないし、信じてなんかいなかった!!でも――」
やや感情を昂ぶらせて叫ぶと、雪はすがるように進の両腕を掴む。
「でも?」
しかし進は、冷たい表情で彼女の白い手を解く。
雪は行き場を失った両手で震える両肩を、仕方なく抱くと深くうなだれた。
「でも……。
万が一、本当にあなたがこの世にもういないのなら、生き残ってしまった私にできることはなんだろうか――と思った。
泣いて終わるのは……ただ泣いて終わるなんていうのは……。それこそ私の本意ではないし、古代クンだって望まないんじゃないか――そう考えて。
それで……。それで私は……。
彼が私に好意を持っているのなら、それを利用するしかない――と思った。」
「利用?ハイペロン爆弾のこと……でか?」
「そうよ……。
あのヒトは交換条件を出してきたわ……。彼の想いに私が応えれば爆弾の秘密を教える――って。
古代クンの望みは……地球を救って平和な営みを取り戻すことでしょう?代わりに私が叶えなければ……そう思った。それで地球が救われるのなら――そんな風に考えた。
ハイペロン爆弾の秘密を知ることができるなら、私は……彼、と……。
でも――」
雪はしかし、言いかけた次の言葉を悲しく飲み込んだ。
(でも……もしもそんなことになっていたら私、生きてなんかいなかった……。)
(4)
重苦しい沈黙――。
「もう一度……言うけど――」
雪は呻くように口を開く。
「私、あのヒトとは……アルフォン少尉とは何もなかったわ……。
あのヒトは私をどうにでもできる立場にあったのに、私には指一本、触れなかったわ。むしろ紳士的に……そう、とても紳士的に私に接してくれた……。
だから、だから……噂されているようなことは何も……、古代クンが思っているようなことは何もなかったわ!!」
最後には進に取り縋って泣訴するように雪は叫んだ。
「それを誰が証明……」
言いかけて進は口を噤んだ。
その言葉は、ついに雪を追い詰めてしまった。
大きく見開かれた彼女の瞳は、悲しみと絶望に、みるみる暗く沈んでゆく。
「誰も……誰もいないわ。でも私は本当に――」
「わかるもんか!どっちにしたって君は俺を裏切ろうとしたんだ!!」
「ちが……それ……は――あなたが信じてくれないと私……」
生きていけない――。
がくり――と首を落とし、大きく肩を震わせて嗚咽する雪。
雪の悲痛な声を遮るように、進は激しく頭を振って叫んだ。
「そんな顔するな!!そんな目で俺を見るな!!
誰も、誰も俺の気持ちはわからない。キミにも。キミにもだ!!」
進は、乱暴にその唇を塞ごうと再びベッドに抑えつける。
顔を背けようとして唇が切れる。
「人形じゃないわ……。私は。」
雪は唇から流れる血を拭いもせずに、苦しげに呟いた。
もう、進に抗うこともせず、ゆっくりと目を閉じた。
(疲れた……。疲れた…とても……。)
身体も意識も、泥の海に沈んでいくようだった。
(古代クン……私、もう……)
このまま深い眠りに落ちて、目が覚めなければいい――雪は、そう思った。
(5)
明け方――。
隣りで蹲るようにして眠っていた、雪の様子がおかしいことに進はようやく気がついた。
「雪?」
身体を起こして声をかけてみる。
彼女は身体をくの字に折り曲げ、苦しげに呼吸するだけで返事をしなかった。
「どうしたんだ、雪?」
抱き起こしてみる。
がくん、と首が落ちる。
雪は意識を失っていた。
進は、思いもよらない事態に、慌てふためいた。
「雪!雪?しっかりしろ!雪!」
(俺は、俺は一体、何をやってるんだ!!)
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