凪の海
仕事を終えて――。
雪は海を眺めながら、ひとり静かに波音を聞いていた。
そっと、頬を撫でていく、やわらかな風。
いつもと変わらない、穏かでやさしい夕凪の風景。
地球には、直接、敵の手は伸びてはいないけど……。
宇宙では、まもなく戦いが始まるのね――。
ゆっくりと仲間達の眠る丘を振り返る。
古代クンや相原君、南部君や太田君……あなた達の遺志を継いだ仲間達はみんな、宇宙に旅立ったわ。
再び戦いに身を投じるために――。
今回、私と真田さんと佐渡先生は居残り。
地上で地球艦隊の戦いを見守ることになるわ。
古代クン、艦長として…いえ、艦隊司令として、ちゃんとやれるかしら?
それに、また無茶なこと……しないといいけど。
何よりあの人、強そうに見えて脆いところもあるから……。
私、やっぱり――。
軍を……辞めなければよかったかしら……。
そしたら私、側にいてあの人を――。
ハッと我に返る。
(私には古代クンだけじゃなく、航と澪もいるのに!!)
雪は自嘲気味に小さく笑った。
(母親失格……かな。)
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深夜――。
雪の元に相原晶子から連絡が入った。
『すいません。こんな遅い時間に。』
「ううん。なんとなく起きてたから。子供達は実家だし。実は眠れなくて退屈してたとこ。」
恐縮する晶子に、雪はそう言って微笑んだ。
モニターの向こうで、晶子が安心したように、にこり――とする。
『よかった。あの、さっき上から連絡があったので雪さんにもお知らせしようと思いまして。近く地下居住区に避難準備勧告を出します。御両親にも連絡なさって、早めに荷物、まとめておいて下さい。』
雪は、ふっと眉をひそめて尋ねる。
「それって……敵の、本星への攻撃の可能性が大だっていうこと?」
『いえ。今のところ、その心配はないようなんですが。今まで、対応が後手後手に回ってましたでしょう?司令部の方針として早めの対策を打ち立てる――ってことで。』
「なるほどね……。っていうか――当然のことだと思うけど……。」
雪に言われて晶子は肩をすくめ、そうなんですよね――と笑った。
『でもね。私がホントにお知らせしたかったのは、そのことじゃないんです。』
晶子は何やら嬉しそうな表情になる。
きょとん――とする雪に晶子は、得意げな顔で言った。
『古代さん達は、無事にイカルスに着いたようです。滞りなくフォンロンの発進準備が進んでるって、義一さんから連絡がありました。』
雪の顔がパァーッと明るくなる。
「そう!良かった。いつも有り難う、晶子ちゃん。」
晶子も満足そうに微笑みを浮かべる。
『いえ。雪さん、軍を辞めちゃいましたから情報は以前のように入らないでしょ?心配だろうなと思って。』
晶子にすべて見透かされているので、雪は苦笑した。
「そうなのよね。やりたかった仕事に就いたのはいいけど、軍に未練があるとしたら、やっぱり、そこなのよね。」
『本当は乗りたかったんじゃありません?フォンロンに。』
「ウン。やっぱり、不安だもの。古代クン、あの通りの性格だし。」
やや、うつむき加減の淋しげな表情の雪に、晶子は穏かな声で言った。
『古代さんは変わりましたよ。』
「え?」
予想外の言葉が返って、雪は思わず顔を上げた。
『なんて言ったらいいかしら。無茶しなくなったというか、丸くなったというか。』
(それって……いいコトのような、悪いコトのような……。)
雪は、なんだか返答に困ってしまった。
『それだけ雪さんとお子さん達のこと、愛してらっしゃるのよ。』
そう言って、晶子は悪戯っぽく笑った。
「あ……やだ、晶子ちゃんたら!何言ってんのよ!」
雪は、つい赤くなる。
晶子は、そんな雪を見る度に、年上である彼女を、かわいいヒト
だ――と思った。
「相原君だって変わったわよ?」
雪は切り返すように言った。
『え?どんな風にですか?』
今度は晶子が身を乗り出す。
「強くなったわ、彼。」
微笑む雪。
『そうなんですか。私、昔の義一さん、知らないですから。』
「ふふふ。いろいろあったものねえ。相原クンも。」
『あ。それって宇宙遊泳のことですか?』
雪は答えず笑っている。
『その話するとすごく怒るのよね、義一さん。だから宇宙遊泳って言葉、禁句になってるくらい。』
口を尖らす晶子に、雪はついに吹き出した。
「あははははは。ご、ごめんなさい。笑っちゃった。うふふふ。相原君の気持ち、わからなくもないけどね。相原君って、何だか迷える小羊みたいだったのよ。晶子ちゃんと一緒になるまではね。」
今度は晶子が言葉に詰まった。
「うふふ。相原君も古代クンに負けず劣らずナイーブだってことよ。それはそうと、晶一クン、元気?ここしばらく忙しくて会えなかったけど。」
二人の話題は一転、子供のことに変わる。
『ええ。弱虫で困っちゃう。澪ちゃんより半年もお兄ちゃんなのに泣いてばっかり!!』
「うふふ。相原君似なのかしら。でも心配ないわよ、航もそうだったもの。澪が生まれてからなのよ、しっかりしてきたのは。実家に預けてばかりで淋しい思いをさせてるから、そのせいもあったんでしょうけどね。晶一クン、ママ思いのやさしい子よ。」
『うふふ。そう言われてみると……そうですね。』
晶子は、やはり実家に預けっぱなしの幼い晶一を思い、少し胸が痛んだ。
雪は、ふと真顔に戻ると、ぽつりと言った。
「晶子ちゃんも私と同じなのよね。ダンナは宇宙で子供は実家……。とにかく地球への直接攻撃なんてことにならなければいいわね。」
『ええ。ホントに。』
雪の言葉に晶子の顔にも厳しさが戻る。
『雪さんがいてくれると、私、ホントに心強いわ。』
「何よ、改まって。私の方こそ――」
『私、でき得る限り、雪さんにフォンロンの情報を届けますから――』
――晶子ちゃんも、不安なのね。
「有り難う、晶子ちゃん。無理しないでいいのよ。私も独自のコネクション使おうか――なんて思ってるし。」
雪は努めて明るく微笑んでみせる。
『独自のコネ??』
真に受けて怪訝そうな表情の晶子に雪は慌てて言った。
「やだ。冗談よ。」
女同士の、とりとめのない話を終えて、雪は再び一人になる。
部屋には重苦しいほどの静寂が戻ってきた。
眠れない雪は、窓を開けると天を仰いだ。
戦うために旅立った夫と仲間達、地球艦隊の無事――。
そして地上の平穏を祈りながら――。
しかし――。
雪の――。
地球の人々の切なる願いを踏み躙るように、侵略の魔の手は、確実に地球に伸び始めていた。