(12)

しん、と静まりかえった病室。
横たわる雪。
古代は、そっと、頬に触れようとしてためらい、そのまま、その手を握り締める。

――ああ、あの時も。
彼女の目は固く閉ざされていて、その顔も唇も蒼褪めていた。
あの日の絶望感が甦り、古代は思わず胸を押さえる。
でも、あの時は――。
不思議に彼女の死を否定させる何かがあった。
事実、彼女は奇跡のように甦り、そして古代にやさしく微笑んでくれた。

力無く投げ出されている片腕を、そっと取る。
細くて白い、その手を握っても、ぴくりとも動かない。
古代は、唇をぎゅっと噛みしめると、自分の左の掌を、ぼんやりと見つめた。

――まだ、記憶している。
あの時の感触。
握り締めた彼女の手が、力無くするり、と滑り落ちていった、あの時の――。
二度目の絶望。
けれど、彼女はやっぱり微笑みと一緒に戻って来てくれた。

「ゆ…き。」
彼女の手を握り締めたまま、その名を呟いてみる。
しかし彼女は答えない。
代わりに―。
医療機器の音が、ただ虚しく響くだけだった。

古代は、たまらず雪の顔に自分の顔を寄せた。
ぽたぽたと零れ落ちた涙が、雪の頬を濡らした。

今度こそ俺は、失ってしまうのか――。
雪を。
最愛のひとを。

古代は両手で顔を覆い、嗚咽した。

一瞬。
ぴくり――と、左手の指が動いた。

「雪?」

気のせいか、と思った刹那。
彼女の長い睫毛が、わずかに動いた。

「雪?雪!?」
古代の胸の中に、希望の光が射した気がした。




(13)


「目を覚ませ、ユキッ!
俺はここにいる。
目を覚ましてくれ、ユキッ!
戻って来いっ!戻って来てくれ!
もう一度、もう一度、俺のもとへ!!」
古代は雪の手を強く握りしめ、狂ったように呼びかける。

雪の、固く閉ざされていた瞼がピクッ、と動いた。
「雪!」

ゆっくりと。
雪の目が開いた。
しかし、その瞳は、どこにも焦点が合っていないのか、ぼんやりと天井を向いたままだった。

「ゆ…き?」

もう一度、呼んでみる。
と。
古代の掠れた声に、雪は眼球だけを巡らせて反応した。

「あ……。」
その視線の先に、古代を認めて小さく声を上げた。

「雪!気がついたのか?雪っ!」
古代の顔が、喜びにくわぁっと綻んだ。

「……。」
雪は何か言おうとしたが声にならない。

古代は嬉しさのあまり、雪の頬を両手で包むと額をぎゅっと押し付けた。
「良かった、本当に良かっ――」

「生きて……たのね、私。」
雪は古代の言葉を遮るように呟いた。
殆ど聞き取れないような、掠れた小さな声で。

「えっ?」
古代は、耳を近づける。

「生きてたのね、私。」
雪は虚ろな瞳で古代を見つめた。

「土門クン……は?」

「ああ。あいつなら大丈夫。問題はない、って先生が言ってた。キミが心配するほどのケガじゃない。」

「そう。よかった……。あなたも彼も無事で。――それで太陽は……地球はどうなったの?」

「ああ。太陽は元の姿に戻りつつある。地球は救われたんだ。キミのおかげさ。」

「そう……。ホントによかったわ。」
雪は、ほっ、と息をつくと軽く目を閉じて、微笑んだ。

「よかったのは俺さ。キミが目を覚ましてくれて、本当に……本当によかった。
このまま目を覚ますことなく死んでしまうんじゃないかと思っていたんだ。
正直、生きた心地がしなかったよ……。
とても……恐かった。
さあ、もう休もう、雪。今はあまり喋らない方がいい。先生を呼んで来るから。」
古代は、零れ落ちそうになる涙を袖でごしごしとこすった。

「ううん。大丈夫。もう少しだけ話させて。」
雪は古代の言葉に小さく首を横に振ると、布団を直そうとする腕を弱々しく掴んだ。




(14)


「大丈夫だから……話をさせて。」
雪は、懇願するように古代を見つめる。

「でも……。あんまり喋ると身体に――」

「ごめんね、古代クン。」
古代を遮って、雪の口から思いもよらぬ謝罪の言葉が零れる。

「え……?」
古代は理解しかねた。

「私ね。土門クンに嫉妬してた。」

「ああ、そのことか。いいんだ。そんなことは。」
一瞬、古代の顔が強張ったが、すぐにやわらかい微笑みに変わる。

「私ね。あなたが、自分自身を土門クンに重ねて見てたことは、早いうちからわかってた……。あなた達、ホントによく似ているものね。
だから、あなたが彼に入れ込む気持ちも、何かを託そうとしているのだろうことも、痛いほど理解できた。
でも……。
あなたを慕う土門クンと、彼といる時のあなたの表情を見ているうちに、なんだか自分の存在がとても小さいものに見えてきて……。

気がついたら彼に――土門クンに嫉妬してた。
土門クンの存在が、あなたの救いになってるのかも知れない、と気づいた時――。
私が古代クンの傍にいる意味なんて、ないんじゃないか、って思えてきて。

どうして土門クンなんだろう、って。
どうして私じゃないんだろう、って。
悔しくて、悲しく、淋しくて――。

……情けないくらい、泣いちゃった。

何よりも辛かったのは――。
あなたが私にも見せたことのない、とても幸せそうな顔を土門クンに見せたこと。
でもあの時――同時に、よかった、と思った。
だって、私は……。
あなたが心から笑うのを見るのが好きだったから。」

雪は、そこで一息つくと、小さく微笑んでみせた。




(15)


「それから私……。よく考えてみたの。
自分は……古代クンに何か返して欲しくて愛してきたのか――って。
考えて考えて――。
それでね。私はやっぱり……あなたに愛されようとして愛したわけじゃない、って思ったの。
私は。
私は……ただ、あなたを愛しているの。」

「雪……。」
どう答えていいかわからず、ただ見つめるだけの古代。

「例えば……あなたと地球や宇宙を天秤にかけたとしたら、あなたの方が、私にはずっとずっと重いの。」

「あ……。」

「なくてはならない存在なの。私にとって、あなたは呼吸をするのと同じくらい、必要なの。」

「雪……。」

「でも、笑っちゃうわよね。そんなこと言いながら、私……きっと生きている限り、どこかで、あなたに愛して欲しいって願うと思うわ。」

「それは……俺だって同じだ。」

「どう…して、私……死ななかったんだろう。」
雪は古代から視線を外すと、遠い目をした。

「えっ?」

「どうして私……あのまま、死んでしまわなかったんだろう。」
雪の肩が小さく震え、涙が零れて落ちた。




(16)


「何を……何を言ってるんだ!」
古代は思わず雪の肩を掴むと乱暴に揺すった。

ウッ、と顔を歪める雪。
「痛いわ、古代クン。」

「ご、ごめん……。だけど、そんなこと言うな。
俺のことを思ってくれるなら、死ぬなんてこと、言わないでくれ!
俺を置いて行こうなんて考えないでくれ!俺をひとりにしないでくれ!」

雪は古代の言葉に、薄く笑った。
「ごめんなさい……。もう言わないわ。死ぬなんてこと……。
でも、古代クンは……ひとり、じゃないでしょう?例え私がいなくても、きっと大丈夫。
土門クンや……。島クンや相原クン、みんながきっと、あなたを支えてくれるわ。」

「どうして、そんなことを言うんだ?もう、俺を愛してはいない、のか?」
苦しそうに尋ねる古代。

「愛してるわよ、誰よりも。」
即座にそう答え、潤んだ眼差しで古代を見つめる雪。
その瞳は、むしろ、いつもより情熱的でさえある。

「俺だってキミを――」
思わず引き込まれ、抱きすくめようとする古代を、雪は静かに押し戻した。

「……素直に、嬉しいわ、古代君。
ねえ。土門クンも……あなたを好きよ。
見てたら、わかるわ。
土門クン、まるで恋人を見るような目であなたを見てる。
まさか――。
まさかあなたも、気づいてないわけじゃないでしょう。」

「それは……。やっぱり、そう、なのか。」

「らしい、わね、古代クン。ヒトの気持ちを曖昧にしか捉えられないところが。
そんなじゃ土門クンが気の毒だわ。」
雪は小さく笑ったが、すぐに真顔に戻る。

「土門クンのことは、どうするの?」

「それは――」
古代の顔が曇った。




(17)


「土門は……。アイツのことなら違うんだ。
確かに俺は……。
キミの言うようにアイツに自分を重ねて見ていた。
アイツはホントに俺とよく似ていたんだ。
だから、君が言ったようにアイツに期待し、入れ込んだ。
そしてアイツはそれに懸命に応えようとしてくれた。
そういう……ひたむきな姿が嬉しかった。
そうだ。ホントにそれが嬉しかったんだ。

うまく言えないが、そのうちに何故か思った。
――やり直せるんじゃないか、って。
そう、思ったんだ。

アイツの姿を見ていると、何故だかそんな気がした。
アイツを育てていくことで、アイツを一人前にしてやることで、何かが変わるような気がしたんだよ。

その頃からだと思う。
土門の姿が俺と重なり出しだしたのは。

だから――。
俺の、俺のしでかしてきた数々の過ちを、アイツだけには犯して欲しくなくて。
俺のような苦しみを背負わないで欲しくて。
気がついたら、アイツから目が離せなくなっていたんだ。

土門のことを俺は、どこかで、もうひとりの俺として見ようとしていたんだと思う。
結局、俺は土門の気持ちを……利用していたんだな。
そうやって……俺は救われようとしていたんだ。」

「……わかってたわ、そんなこと。わかっていて私は……ううん、だからこそ私は土門クンに嫉妬したのよ。
でもね。あの時、甲板で、あなたが艦載機に狙われた時、そんなこと、どうでもいいと思った。
あなたを失うくらいなら、あなたを土門クンに渡したってかまわないと思った。
あなたを失うくらいなら、あなたが私のもとを去って私以外の誰かを愛したってかまわないと思った。
私にとって、あなたがいなくなってしまうことが、何よりも恐かったのよ。

ねえ、古代クン。
あなたが幸せと感じられるなら、あなたが彼といて、本当に救われるのなら、あなたは私とではなく、彼といるべきだと思うわ。
私なら――私なら大丈夫だから……。」
雪はそう言うと、にっこりと微笑んだ。




(18)


古代は、雪の言葉に大きく、かぶりを振って否定した。
「違う。違うよ。だから土門のことは、さっき――」

「私……。地球へ帰って、身体が治ったら、アメリカに行こうと思う。」
雪はふと、古代の言葉を遮るように呟く。

「え?何だって?」

「私、今の仕事を辞めて、本格的に医者になる勉強をしようと思う。医者になるのは私の夢でもあったし。
ねえ、覚えてない?すごく綺麗なプラチナブロンドの髪と明るい碧色の眼をしてる、天才外科医って言われてた娘。
古代クン、前に『生意気なヤツだ』って言ったことあったじゃない。
私、あの娘と友達になってね。って言っても、彼女、4つも年下なんだけど。
私が、かつては医者になるつもりで勉強してたって言ったら、彼女がね。『もし、まだその気があったらニューヨークへ来ないか』って言ってくれたの。
向こうのメディカルスクールを紹介してくれるって。
だから……私なら大丈夫。新しい夢があるんだもの。」

驚く古代は、思わず身を乗り出した。
「どう、して?キミは……俺のこと、愛してるって言ったじゃないか。俺だってキミを――」

「そうよ。何度でも言うわ。私は、あなたを愛してる。きっと誰よりも。」
雪の瞳は、不思議に穏やかだった。

思いも寄らない展開に戸惑う古代。

「ねえ、古代…クン。自分…の気持ちに、もっ…と、素直になってみるといい…わ。」
そう言いながら雪は、疲れが出たのか、肩で大きく息をし始める。

「大丈夫か?」
古代は雪に手を差し伸べながら、顔をしかめた。

「ごめん、なさい。休ませてもらう…わね。あな…たも、そろ…そろ、持ち場に戻った方が、いい。私ならもう、大丈夫だと、皆に、土門クンに伝えて。」




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